京都アニメーション
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | 非上場 |
略称 | 京アニ |
本社所在地 | 611-0002 京都府宇治市木幡大瀬戸32番地 |
設立 | 1985年7月12日 (法人組織として) |
業種 | 情報・通信業 |
代表者 | 八田英明 (代表取締役) |
資本金 | 10,000,000円 |
主要子会社 | 有限会社アニメーションドゥウ |
関係する人物 | スタッフ項目参照 |
外部リンク | www.kyotoanimation.co.jp |
特記事項: 旧I.G.タツノコ(現・プロダクションI.G.)の設立関与あり |
京都アニメーション(きょうと-)は日本のアニメーション制作会社である。
目次 |
[編集] 概要
1981年設立、1985年7月12日有限会社化、1999年株式会社化。関連会社に2000年4月7日に大阪スタジオを法人化し設立したアニメーションDoがある。アニメーションDoは京都アニメーションから資本的に独立した企業ではないので、所属スタッフは京都アニメーションの一員として数えられることが多い。
本社・オフィスを京都府宇治市と東京都に置き、一部のポストプロダクション工程は社外で行う必要があるため、演出など一部のメインスタッフは京都と東京を往復する事も多いと言われる。設定制作、制作進行をそれぞれ「設定マネージャー」「制作マネージャー」と呼称する。福利厚生と社宅を整備。自社のアニメスクールもある。
日本国内の制作会社の多くが東京都内に集中しているため、地方プロダクションである同社が動画・仕上げの工程を国内の複数社に委託することは少なく、ほぼ自社と関連会社のアニメーションDoならびに韓国の提携スタジオであるAni Villageで編集・音響を除く全行程を賄っている。
[編集] 歴史
元は仕上げの工程を行う下請け会社だった。旧虫プロダクションで仕上をした経験のある八田陽子が、1981年に近所の主婦らと、タツノコプロやサンライズの仕上の仕事を始めた。八田が結婚して移り住んだ京都府宇治市に由来して「京都アニメスタジオ」と名乗っていたが、のちに「京都アニメーション」に改称し、八田の夫の八田英明を社長に据え、1985年に有限会社として法人化される。
1987年のタツノコプロ制作のテレビアニメ『赤い光弾ジリオン』では、実質的な制作を行ったとされ、同作品のプロデューサー石川光久がアイジータツノコ(後のProduction I.G)を設立する際には出資を行った。
やがて、1990年代半ばから、演出、作画、仕上げ、背景、撮影などを自前で行う体制を整え、テレビアニメのグロス請けを行うようになった。一時期、4ヶ所のスタジオを構え、従業員が100人を越えた時期もあった。
1992年には、シンエイ動画からの受注で、内田春菊原作のテレビアニメ『呪いのワンピース』を演出から仕上げまで初めて社内スタッフだけで制作した。既にこのときより質の高い仕事と評判になっていた。その後長らく主要取引会社であるシンエイ動画、サンライズ、ぴえろなどの下請けを行った。アニメ監督の杉井ギサブローによると、その評判の良さから仕事の依頼が絶えず、発注する元請けの制作会社では、京都アニメーションに仕事を依頼するために、スケジュール調整を行うこともあるという。
2000年以降は自社元請制作を行うようになった。TVアニメの『フルメタルパニック』シリーズの第2期と第3期や、『AIR』・『涼宮ハルヒの憂鬱』・『Kanon』などの制作を行い、いずれも高い作画力と巧みな演出や自然で違和感無い高密度な音響によるクオリティーの高さが、各方面から評価されている。
前述の通り、グロス請けのクオリティーには定評があったが、2006年現在は外部のプロダクションに頼らない形の元請け制作を中心に行うようになったため、下請け業務はほぼシンエイ動画の『クレヨンしんちゃん』のみに留まっている。
[編集] 主なスタッフ
※同社の演出スタッフは脚本を、作画スタッフは演出を兼任することが多い。
[編集] 役員
- 八田英明(代表取締役)
- 八田陽子(専務取締役・企画制作部長)
- 木上益治(取締役・演出)
- 石原立也(取締役・演出)
- 武本康弘(取締役・演出)
- 池田晶子(取締役・作画)
[編集] 作画・演出
- 荒谷朋恵(演出・作画)
- 北之原孝将(演出・作画)
- 吉岡忍(演出・作画、アニメーションDo所属)
- 坂本一也(演出・作画)
- 石立太一(演出・作画)
- 渡邊政治(演出助手・作画)
- 三好一郎(演出)
- 山本寛(演出、アニメーションDo所属)
- 高雄統子(演出助手・作画)
- 門脇聡(作画)
- 高橋博行(作画)
- 米田光良(作画、アニメーションDo所属)
- 池田和美(作画、アニメーションDo所属)
- 堀口悠紀子(作画)
- 植野千世子(作画)
- 西屋太志(作画)
[編集] その他スタッフ
- 竹田明代(色彩設計)
- 石田奈央美(色彩設計)
- 高木理恵(色彩設計)
- 三浦理奈(仕上・特殊効果)
- 村山健治(動画チェック)
- 中峰ちとせ(動画チェック)
- 鵜ノ口穣二(美術・CGエフェクト)
- 平床美幸(美術)
- 篠原睦雄(美術)
- 中上竜太(撮影・CGエフェクト)
- 田中淑子(スキャン・撮影・CGエフェクト)
- 大橋永晴(経理・アシスタントプロデューサー)
- 山口真由美(アシスタントプロデューサー)
- 村元克彦(脚本・経理)
- 栗原一樹(Webサイト・設定マネージャー)
[編集] OB
- 別宮篤機(美術)
- 栗倉正文(撮影)
- 森本真嗣(作画)
[編集] 主要取引会社・作品参加プロダクション
- アニメーションDo(アニメーション・ドゥウ、旧京都アニメーション大阪スタジオ。連結子会社)
- Ani Village(韓国提携スタジオ)
- シンエイ動画
- 角川書店
- 現在も関連が続いているのは上記4社のみ
- サンライズ
- ぴえろ
- OLM
- タツノコプロ
- GONZO
- 任天堂
- コナミ
[編集] 作品履歴
[編集] テレビシリーズ
[編集] 元請制作
- フルメタル・パニック? ふもっふ (2003年)
- AIR (2005年)
- フルメタル・パニック! The Second Raid (2005年)
- 涼宮ハルヒの憂鬱 (2006年)
- Kanon (第2作 BS-i版、2006年)
- らき☆すた(2007年、放送予定)
[編集] 制作協力
- 赤い光弾ジリオン (竜の子プロダクション、1987年)
- 江戸っ子ボーイ がってん太助 (スタジオぴえろ、1990年)
- クレヨンしんちゃん (シンエイ動画、TVおよび劇場版作画・仕上下請け、1992年~)
- ドラえもん (1979年 - 2005年版、シンエイ動画、TVおよび劇場版作画・仕上下請け)
- ふしぎ遊戯 (ぴえろ、1995年)
- 赤ちゃんと僕 (ぴえろ、1996年)
- 天地無用! (AIC、テレビシリーズ、1997年)
- 魔法のステージ ファンシーララ (ぴえろ、1998年)
- 天使になるもんっ! (ぴえろ、1999年)
- パワーストーン (ぴえろ、1999年)
- 犬夜叉 (サンライズ、2000年~2004年)
- ゲートキーパーズ (ゴンゾ、2000年)
- 劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI (OLM、2000年)
- The Soul Taker~魂狩~ (竜の子プロダクション、2001年)
- 週刊ストーリーランド (シンエイ動画、2001年)
- ジャングルはいつもハレのちグゥ (シンエイ動画、2001年)
- 東京アンダーグラウンド(ぴえろ、2002年)
- キディ・グレイド(ゴンゾ、2002年)
- あたしンち (シンエイ動画、アニメーションDo制作、2002年~2004年ごろまで担当)
[編集] ビデオシリーズ
- MUNTO (自社企画・制作作品)
- MUNTO~時の壁を越えて (自社企画・制作作品)
- ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて (竜の子プロダクション、担当話数:1・2話)
- ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス(シンエイ動画、2002~2003年)
- ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL(シンエイ動画、2003~2004年)
[編集] ゲーム内ムービーパート
- Dancing Blade かってに桃天使!
- 実況パワフルプロ野球(8.9.10.11)OP
[編集] 参考資料
- 『アニメージュ』(1992年11月号、徳間書店) - アニメ研究家原口正宏による京都アニメーション取材。『呪いのワンピース』の評判。
- 『アニメージュ』(2004年1月号、徳間書店) - Production I.G社長石川光久インタビュー記事。創設期のProduction I.Gと京都アニメーションの関わりについて言及。
- 『アニメージュ』(2005年2月号、徳間書店) - 杉井ギサブローのテレビ版『AIR』評。アニメのデジタル化が進む中における京都アニメーションの制作システムの強みを指摘。
- 『アニメージュ』(2005年4月号、徳間書店) - 2005年2月号の記事を受ける形で、杉井ギサブローと京都アニメーションの八田英明、石原立也らによるトーク。