五山文学
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五山文学(ござんぶんがく)は、鎌倉時代末期から室町時代にかけて禅宗寺院で行われた漢文学である。五山文学こそは、五山文化の中心であった。宋元禅林においても文学が占める位置は非常に大きかったが、入宋僧や入元僧らにより、その禅風が伝来すると、こぞって文学志向が高揚することとなった。 鎌倉五山や京都五山(京五山)では、幕府の外交文書を起草するという必要性も伴い、四六文を用いた法語や漢詩を作る才が重視されたことも関係して、五山文学が栄えることとなった。
禅の法語をはじめ、詩文、日記、論説などの分野に及ぶ。代表的な詩文集に、義堂周信の『空華集』、絶海中津の『蕉堅稿』などがある。また、漢文学の盛行に伴って、木版出版も起こった。とりわけ、14世紀後半、京都の天龍寺雲居庵や、臨川寺で、春屋妙葩らが盛んに出版活動を展開した。これらの木版印刷を五山版と呼ぶ。その大多数は、日本に伝わった宋版や元版を覆刻したものであり、古様を伝えるものも多く、版本学的な資料価値が非常に高い。