久保三郎
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久保 三郎(くぼ さぶろう、1911年3月 - 1981年1月5日)は、日本の労働運動家・政治家。元日本社会党衆議院議員。
茨城県西茨城郡岩瀬町に国鉄職員の息子に生まれる。東京鉄道局教習所に進み、後に衆議院副議長となる原彪之助の知遇を得る。教習所卒業後に水戸駅車掌所を振り出しに鉄道職員としてのキャリアを積み、水戸駅助役にまで昇進する。
戦後直ぐ国鉄労働組合の結成に参加、国労水戸地本委員長・茨城県労働組合連盟事務局長・茨城県官公労議長を歴任。その傍ら1947年の第1回統一地方選挙に日本社会党公認で茨城県議会議員選挙に立候補、3期務める。
1958年の総選挙に社会党公認で出馬し、当選。以後党代議士会副会長・両院議員総会副会長・政策審議会副会長などを歴任。国労出身議員の中心的な存在として久保天皇と渾名された。国鉄の赤字が問題になり再建策が論議されている中、死去。皮肉にも久保の死後に国鉄の分割民営化が決まり、国労の勢力も衰退していった。