上杉氏定
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上杉氏定(うえすぎうじさだ、文中3年/応安7年(1374年) - 応永23年10月8日(1416年10月28日))は、室町時代の人物。上杉氏の一族。扇谷上杉家当主。上杉顕定(扇谷上杉家)の養子。上杉頼顕(小山田上杉家)の実子。上杉持定、上杉持朝、女子(今川範政妻)の父。鶴寿丸、弾正少弼。
鎌倉公方足利氏満、足利満兼に仕え、満兼の没後は足利持氏に仕えた。
上杉禅秀の乱が勃発した際、当初劣勢であった持氏方に合力するため出陣したが、上杉禅秀の反乱軍に敗れ重傷を負い、のちに持氏らが鎌倉を退去する際は同道できずに、応永23年(1416年)10月8日、藤沢において自刃した。
家督は子の持定が継承したが、持定もまもなく没し、持朝がその後を継いだ。