上杉吉憲
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上杉 吉憲(うえすぎ よしのり、1684年12月14日(貞享元年11月8日) - 1722年6月14日(享保7年5月1日))は、出羽米沢藩の第5代藩主。父は第4代藩主・上杉綱憲。母は於清(清寿院)。正室は池田綱政の娘。官位は従四位下。民部大輔。侍従。
1684年11月8日生まれ。1703年8月21日、父の隠居により家督を継ぐ。1704年、江戸城の石垣普請を務めた。1719年には弟・上杉勝周に1万石を分与して支藩である米沢新田藩を立藩させた。しかし藩財政の窮乏により、参勤交代の費用にすら事欠く有様であった。1722年5月1日死去。享年39。法号は樹徳院殿法印権大僧都泰心。墓所は米沢市。後を長男の上杉宗憲が継いだ。なお、子女に長男宗憲、次男宗房、三男畠山義紀、四男重定らがいる。
- 上杉氏当主(米沢藩5代藩主)
- 1703~1722
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- 先代:
- 上杉綱憲
- 次代:
- 上杉宗憲