一色範氏
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一色 範氏(いっしき のりうじ、? - 応安2年/正平24年2月18日(1369年3月26日))は、鎌倉時代、南北朝時代の武将。足利氏庶流一色氏の一族。一色公深の子。母は今川国氏の娘。弟に一色頼行。一色直氏、一色範光の父。太郎。宮内少輔。法号は大興寺殿古峯道猷。
建武の新政から離反し、九州落ちした足利尊氏に従う。建武3年(1336年)、多々良浜の戦いにおいて宮方に属した菊池氏らを撃破すると、九州の守りとして仁木義長らとともに足利一門とともに残される。同年に義長が上洛すると範氏は初代九州探題として大友氏、少弐氏、島津氏らの諸守護と対立して地域支配に務める。貞和2年/正平元年(1346年)に息子直氏が九州探題となり、父子揃って九州の地盤固めを進める。
しかし、範氏父子の働きも空しく、九州の武士を味方につけることはできず、少弐頼尚と結んだ足利直冬の勢力との合戦、南朝の征西将軍懐良親王とそれを支える菊池武光等の勢力との合戦が続き、文和2年/正平8年(1453年)に筑前国針摺原で菊池勢に大敗、その後も敗北を重ね、遂に文和4年/正平10年(1355年)、南朝勢の侵攻により博多を放棄して長門国へ逃れ、そのまま帰京、隠退した。
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