レンジェル・メニュヘールト
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レンジェル・メニュヘールト(Lengyel Menyhért 1880年1月12日 - 1974年10月21日)はハンガリーの劇作家で脚本家。ハンガリー以外ではレンジェル・メルヒオル(Lengyel Melchior)の名で知られる。
レボヴィチ・メニュヘールト(Lebovics Menyhért)の名でハンガリー王国ハイドゥー=ビハル郡のホルトバージュ近郊バルマズーイヴァーロシュに生まれたユダヤ人。ハンガリーの新聞の特派員としてスイスに滞在した後、ドイツとオーストリアで戯曲を発表。エルンスト・ルビッチなどドイツ演劇界の大立者たちと交友を持つ。
1917年1月、「中国の不思議な役人─グロテスクなパントマイム」(A csodálatos mandarin: Pantomime grotesque)と題する脚本を文芸誌に発表。この作品は、1924年、バルトーク・ベーラによって舞台音楽化された。
この間、1921年と1924年、二度にわたってアメリカに滞在。この時期の彼の日記は、当時のアメリカの演劇界に関する好個の資料となっている。彼はまたユージン・オニールと会い、ドイツに戻ってからオニールの戯曲を演出した。
1933年、ブダペシュトのPesti Naplo紙の特派員として渡英。ナチ台頭後、1935年にはルビッチの後を追ってアメリカに亡命。ハリウッド映画『ニノチカ』(1939年)や『生きるべきか死ぬべきか』(1942年)の脚本などを執筆し、前者の作品ではアカデミー賞候補となったが、『風と共に去りぬ』の前に惜敗した。
戦後、1960年にイタリアへ移住。1970年にハンガリーへ帰国し、94歳のときブダペシュトで逝去した。