ルイス・エンリケ
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ルイス・エンリケ・マルティネス・ガルシア(Luis Enrique Martinez Garcia, 1970年5月8日 - )は、スペイン・ヒホン出身の元サッカー選手。元スペイン代表。ポジションは主に攻撃的ミッドフィールダー、ウイング。ニックネームは「Lucho(ルチョ)」。
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[編集] プレイスタイル
どのポジションでもこなす選手で、現役生活の中でゴールキーパー以外の全てのポジションを経験している。代表ではセンターフォワードなのに、クラブではサイドバックなどということもあった。全盛期は2列目の攻撃的なポジション(メディアプンタ)を主に担当した。
ポジションよりも、むしろその感情を剥き出しにするようなガッツ溢れるプレイや、鋭い得点感覚で、スペイン国内のみならず世界中のフットボールファンに愛された選手。その闘志をみなぎらせた姿から「闘将」とも呼ばれた。
[編集] 略歴
1989年に地元のクラブ、スポルティング・デ・ヒホンでプロデビュー。その後レアル・マドリードCFへ移籍。レアル・マドリードCFでは中盤のダイナモとして機能し、リーグ優勝に大きく貢献した。スペイン代表にも選ばれ、そこでもなくてはならない存在となった。
ところが、レアル・マドリードCFで栄光を極めた後の1996年に、突如としてライバルのFCバルセロナへ移籍する。起用法などを巡りフロントと対立したのがきっかけだった。それ以前にミカエル・ラウドルップが逆の形で移籍をしていたため、話題になったとはいえそれほど驚きのあるものではなかったが、マドリーのファンからは「裏切り者」として非難の対象となった(後にルイス・フィーゴがFCバルセロナからレアル・マドリードCFに移籍した際に、「罵声を受けてプレイすることになると思うけど、彼の気持ちを理解できるのは逆の移籍をした自分くらいだろう」と語っている)。
しかし、ルイス・エンリケは持ち前の熱いプレイでカンプ・ノウの観客を魅了。移籍直後のシーズンは主に右サイドのポジションでフル回転。レアル・マドリードCF時代とは、ガラリとプレースタイルを変えてシャドーストライカーとして機能し、得点ランクの上位に顔を見せるようになった(17ゴール)。また、翌1997-1998シーズンからはリーガ・エスパニョーラ2連覇の原動力として活躍。FCバルセロナではクラブのシンボルとして、すべてのバルセロニスタ(FCバルセロナのサポーターの通称)から愛される存在となった。キャリアの晩年は主将も務めた。
ルイス・エンリケ自身はFCバルセロナのソシオ(Socio、所謂ファンクラブ)会員でもある。
ナショナルチームレベルでは、1991年のルーマニア代表戦でスペイン代表デビュー。1992年のバルセロナ・オリンピックでは主力選手として活躍し、金メダルを獲得。1994年・1998年・2002年と3度のワールドカップにも出場したが、最高成績はベスト8に留まった。
2004年、惜しまれつつ現役を引退。
[編集] 所属クラブ
- 1989-1991 スポルティング・デ・ヒホン(スペイン)
- 1991-1996 レアル・マドリードCF(スペイン)
- 1996-2004 FCバルセロナ(スペイン)
[編集] 獲得タイトル
サッカー | ||
金 | 1992 | サッカー |
- 国内リーグ 3回(94-95,97-98,98-99)
- UEFAカップウィナーズカップ 1回(96-97)
- UEFAスーパーカップ 1回(1997)
- コパ・デル・レイ 3回(92-93,96-97,97-98)
- バルセロナ・オリンピック 金メダル(1992年)
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