ラッキィ池田
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ラッキィ 池田(ラッキィ いけだ、男性、1959年10月25日 - )は、東京都墨田区出身の振り付け師、タレント。獨協大学中退。本名は池田 新一。
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[編集] 人物
- 「ラッキー」ではなく「ラッキィ」が正しい。姓名判断で「ラッキー池田」では身を滅ぼす、と言われたため、画数を変えて「ラッキィ」としたらしい。顔は不細工だが、なぜかSMAPの草なぎ剛に似ている。
- 関根勤やルー大柴の親友で、関根が主宰のカンコンキンシアターのメンバーである。そのため、よく関根やルーらと同じ浅井企画所属のタレントだと誤解されがちだが、1995年から2005年4月まではオスカープロモーションに所属し、その後はフリーで活動しており、浅井企画所属歴はない。
- かつては「振り付け仮面」というキャラクターを演じたこともある。
- コマーシャルや舞台などの振り付け師が本業だが、1989年にアーノルド・シュワルツェネッガーがヤカンを持って踊るカップヌードルのTVコマーシャルや奇抜なファッションが注目されブレイク、騒がしいキャラクターのタレントとしてバラエティー番組に多数出演した。
- 実はブレイク以前にも芝居やコント、音楽ユニットなど多岐に活動しており、カンコンキンシアター以前にも関根勤と共演をしていた。
- 池田自身独特の服装である「ラッキィ池田ルック」は子供用の象さんのじょうろを頭上に乗せて紐で縛りつけるだけでなく、蛇のおもちゃを体に付けて、白いハイソックスを穿き、Tシャツとバミューダパンツを身に付けるというスタイル。その時には必ず「ギャッフーン!」(この「ギャッフーン!」と言うのは池田の決め台詞)と言いながら踊りまくる。
- 親友のルー大柴に似た独特のくねくねとした動き(振り付けも、また自身で披露するダンスなども)が特徴。
- 最近はタレントとしての比率が多いが、まだ振り付け師もやめていない。本来は振り付け師としての仕事に重点を置き、また東京吉本総合芸能学院(NSC)講師も勤めている。
- 実弟であるサッシー池田(池田家の家業がガラス屋であることに由来)と、『ブリーフブラジャーズ』なるパフォーマンスユニットを結成し活動していたこともあった。
- AV女優として活躍した青山ちはると周囲の理解もあり入籍したが、短期間で離婚した。離婚の時も例のごとく、前述の「ラッキィ池田ルック」で、悲しみを込めて「ギャッフーン!」と言いながらテレビに登場したこともあった。離婚の原因として池田の母が彼を溺愛していた為に、青山が嫌気を指したとも言われているが定かではない。しかし、離婚後の悩む態度にルー大柴が心配し「浅草橋ヤング洋品店」に出演させ「男の涙は屋台で泣け」と言うコーナーを設け、未練を断ち切らせた。
- 後にダンサーの女性と再婚、今ではともに空手を嗜んでいる。
- 今までの仕事仲間たちと草野球チームを作り、休日には試合をすることもある。池田は投手で右投げ左打ち、背番号は29。背番号は好きなプロ野球選手である芝草宇宙投手が北海道日本ハムファイターズ時代に着けていた背番号にあやかったもの(その後福岡ソフトバンクホークスに移籍)。池田も芝草も元来から右投げ左打ちである。
[編集] 活動
[編集] 振付
- CM
- TV
[編集] 出演
[編集] ラジオ
- 1992年4月~9月 TBSラジオ ルー&ラッキィのパックインミュージック21(カンコンキンシアターの小路川明子・鈴木晋介も居た)
- 1992年-現在 TBSラジオ 「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」レギュラーリポーター
[編集] CD
- インチキじゃない - オリジナルビデオ「ギャッフーン!ラッキィ池田の振り付け仮面」テーマ曲。東京スカパラダイスオーケストラによる演奏。
- ラテンの如く、PSYCHEDELIC SOUND PARADISE - 関根勤、ルー大柴とともに、「オラセラル」として。ただし、当時の所属事務所(レコード会社の契約期間とも言われる)の関係により、「イタチ野郎」と名乗っての参加。
- 上等だコラッ! - 「元祖一発屋」として。
[編集] 商品
- ヘビー級ニョロレスリング