ユルゲン・プロホノフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユルゲン・プロホノフ(Jürgen Prochnow,1941年6月10日 - )はドイツ、ベルリン出身の俳優である。ドイツ映画界を代表する先駆者的存在の一人。精悍な顔つきと厳格な父性を体現することで定評があり、ヨーロッパ時代は正統派の演技者として、ハリウッド進出後は強烈なイメージの悪役で知られる。クルト・ユルゲンス、ゲルト・フレーベを継承する人物とも言われる。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] ヨーロッパ時代
1960年代後半から自主制作映画を中心に活躍をはじめ、舞台、TVなどに進出。1970年代に入ると代表作が次々と増えた。なかでも同じドイツ出身で同年代でもある映画監督ウォルフガング・ペーターゼンと組んで活動した時期が知られる。1975年の『カタリーナ・ブルームの失われた名誉』で知名度が上がり、1978年『地獄のライトスタッフ』、そしてペーターゼンのドイツ時代屈指の代表作ともいえる1981年『U・ボート』の大ヒットで成功を決定付けた。
[編集] ハリウッド時代
あまりにもインパクトのある『U・ボート』の艦長役でその後のイメージがやや決定付けられた感が払拭できず、精悍かつ厳格な個性を逆手にとって強烈な悪役にキャスティングされることが多くなる。それでも1984年『ベルリンは夜』、『砂の惑星』などでの抑制のきいた静かなキャラクターの好演も披露。また当初アーノルド・シュワルツネッガーが主演し世界的ヒットを記録した『ターミネーター』シリーズのターミネーター役の候補にも推されたこともある。1997年『エア・フォースワン』ではペーターゼン監督に久々に起用され、特別出演的な役回りで登場していたのが印象深い。近年も作品にスパイス味を利かせる貴重な存在として起用されている。 2006年、早くもカルト的支持を得て静かな感動を広げている怪作『シュワルツネッガーが行く!』では、アクションスターとしてヒット街道を驀進し、ついにはカリフォルニア州知事の座に就いたシュワルツネッガー役を熱演。本人そっくりな動作と役作りで映画ファンを笑いの渦に巻き込んだ。
[編集] 主な作品
- 地獄のライトスタッフ(1978年)
- U・ボート(1981年)
- ザ・キープ(1983年)
- カムバック(1983年)
- ベルリンは夜(1984年)
- 砂の惑星(1984年)
- キリング・カー(1986年)
- さらばロンリーウルフ/非情の恋(1986年)
- ターミナス(1986年)
- ビバリーヒルズコップ2(1987年)
- デビルス・パラダイス/悪魔の楽園(1987年)
- 第七の予言(1988年)
- 対決(1990年)
- デス・ウィンズ/戦慄の航海(1990年)
- ハリケーン・スミス(1990年)
- ロビン・フッド(1991年)
- インターセプター(1992年)
- BODY/ボディ(1992年)
- ラスト・ボーダー(1993年)
- マウス・オブ・マッドネス(1994年)
- ジャッジ・ドレッド(1995年)
- イングリッシュ・ペイシェント(1996年)
- 第一容疑者2(1996年)
- DNAⅡ(1997年)
- ザ・フォール(1998年)
- リプレイスメント・キラー(1998年)
- ポイズン(1999年)
- ウィング・コマンダー(1999年)
- フラッシュ・ポイント(1999年)
- スノー・ステーション(2000年)
- ブル・ドッグ/人質救出作戦(2000年)
- GEKICHIN/撃沈(2000年)
- ハンギング(2000年)
- 犯罪心理鑑定人(2001年)
- バルティック・ストーム(2003年)
- ハウス・オブ・ザ・デッド(2003年)
- ダ・ヴィンチ・コード The Da Vinci Code (2006)
- シュワルツネッガーが行く!(2006年)