ユダ王国
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ユダ王国(ヘブライ語:מַלְכוּת יְהוּדָה)とは紀元前10世紀から紀元前6世紀にかけて古代イスラエルに存在した王国。もともとあった統一イスラエル王国が北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂して出来たもの。ヤコブの子であったユダの名前に由来している。しばしば南ユダ王国とも呼ばれ、単に南王国と呼ばれることもある。首都はエルサレムであった。
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[編集] 概説
サウルの後を継いだダビデ王によって統一された統一イスラエル王国は、ソロモン王の死後、紀元前930年ごろ分裂した。南のユダ王国はユダ族とベニヤミン族から構成されており、北のイスラエル王国はそれ以外の十部族からなっていた。もともとダビデの一族の支配から北のイスラエル王国が独立した形となったため、当初ユダ王国では北イスラエル王国を再び制圧して全土を統一しようという意気込みが強かった。
そのため、分裂後の60年間は南北王国の間でたびたび戦いが繰り返された。その後は和解した両国の関係が安定し、ダマスカスなどの共通の敵に対して共同戦線を張ることが多かった。紀元前8世紀の中ごろには両国とも力が充実し、ソロモンの最盛期にも匹敵するほどの国土を獲得した。
しかし、アッシリア帝国が勃興すると紀元前722年に北のイスラエル王国は滅ぼされてしまった。その後もユダ王国は存続していたが、最終的に紀元前597年に新バビロニアのネブカドネザル2世の前に屈した。なおしばらくは独立国としての存在が許されていたが、結局エジプトと結んでバビロニアと対抗しようという企てが失敗し、紀元前586年にエルサレム全体とエルサレム神殿が破壊され、支配者や貴族たちは首都バビロニアへ連行されることになった。これをバビロン捕囚という。
[編集] 歴代統治者一覧
在位には諸説あるが、ここではもっとも広く受け入れられているウィリアム・オルブライトの説による。年号はすべて紀元前。
- 922年~915年 レハブアム
- 915年~913年 アビヤム
- 913年~873年 アサ
- 873年~849年 ヨシャファト
- 849年~842年 ヨラム 暗殺される
- 842年 アハズヤ 北イスラエル王国のイエフによって殺害される。
- 842年~837年 アタルヤ 先王アハズヤの母、唯一の女王。次王ヨアシュを擁立した大祭司ヨヤドに暗殺される。
- 837年~800年 ヨアシュ 配下に暗殺される。
- 800年~783年 アマツヤ 暗殺される。
- 783年~742年 ウジヤ
- 742年~735年 ヨタム
- 735年~715年 アハズ アッシリア王ティグラト・ピレセル3世に臣従。
- 715年~687年 ヒゼキヤ このころアッシリア王センナケリブ活躍。
- 687年~642年 マナセ
- 642年~640年 アモン 地の民に暗殺される。
- 640年~609年 ヨシヤ 申命記改革行われる。エジプト王ネコ2世と戦い戦死。
- 609年 エホアハズ
- 609年~598年 エホヤキム カルケミシュの戦い起こる。
- 598年 エホヤキン 次王ゼデキヤと共にバビロニアへ連行され、37年間にわたって拘禁される。その後開放。
- 597年~587年 ゼデキヤ 目を繰り出されてバビロニアへ連行された。
[編集] ユダ王国滅亡後のイスラエルの歴史
ユダ王国が滅ぶと、わずかな例外的時期を除いて20世紀に至るまでユダヤ民族が独立国を持つことはなかった。以下に歴代の統治者を示す。
- 紀元前587年~539年 新バビロニア王国
- 紀元前539年~332年 アケメネス朝ペルシア帝国
- 紀元前332年~305年 プトレマイオス朝エジプト
- 紀元前305年~141年 セレウコス朝シリア
- 紀元前141年~63年 ハスモン朝 ユダヤ人国家。
- 紀元前63年~37年 共和制ローマ元老院属州
- 紀元前37年~紀元44年 ヘロデ家
- 44年 ローマ帝国皇帝属州
- 44年~93年 ヘロデ家
- 44年~395年 ローマ帝国皇帝属州
- 395年~634年 東ローマ帝国
- 634年~1516年 カリフ諸王朝 途中に十字軍国家の時代を含む。
- 1516年~1917年 オスマン帝国
- 1918年~1948年 イギリスによる国際連盟の委任統治
- 1948年~ イスラエル国(メディナット・イスラエル)成立 共和制国家の樹立、現代に至る。