マーガレット・モールズワース
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マーガレット・モールズワース(Margaret Molesworth, 1894年 - 1985年7月9日)は、オーストラリア・ブリスベン出身の女子テニス選手。1922年から始まった全豪選手権(現在の全豪オープン)の女子シングルス部門で、第1回・第2回大会の優勝者になった選手である。フルネームは Margaret Mutch Molesworth (マーガレット・ムッチ・モールズワース)というが、「モール」(Mall)という愛称で呼ばれた。右利きの選手で、強力なサービスを最大の武器にした。なお、モールズワースについては没年月日は判明しているが、生年に関しては日付までを確認できる資料がない。
現在は「全豪オープン」として知られるテニス大会は、1905年に第1回大会が始まったが、最初期の全豪選手権は男子シングルス・男子ダブルスの2部門のみであった。女子シングルス・女子ダブルス・混合ダブルスの3部門は、それから17年後の1922年に第1回の競技が行われた。マーガレット・モールズワースは第1回大会の女子シングルス決勝でエスナ・ボイド(1901年 - 1962年)を 6-3, 10-8 で破り、この部門で最初の優勝者に輝いた。翌1923年の第2回大会で、モールズワースは女子シングルス・女子ダブルス・混合ダブルスの3部門すべてに決勝進出を果たす。女子シングルスでは前年と同じボイドに 6-1, 7-5 で連勝して2連覇を達成したが、女子ダブルスと混合ダブルスでは準優勝に終わった。しかし、1924年の第3回大会では準々決勝敗退に終わり、1928年・1929年・1933年もベスト8止まりがあった。
モールズワースはその後、女子ダブルスで1930年・1933年・1934年と3度優勝したが、パートナーはすべてエミリー・ウェスタコット(1910年 - 1980年)と組んだ。彼女は1930年当時は「エミリー・フッド」(Emily Hood)という名前であったが、その後結婚してウェスタコットの姓に変わり、1933年と1934年は「エミリー・ウェスタコット」の名前で女子ダブルス優勝記録表に記載されている。ウェスタコットと組んで女子ダブルスに2年連続3度目の優勝を果たした1934年、モールズワースは女子シングルスで11年ぶり3度目の決勝に進出したが、ジョーン・ハーティガン(1912年 - 2000年)に 1-6, 4-6 で敗れ、3度目の優勝はならなかった。この時、モールズワースはすでに40歳を迎えていた。1935年に41歳で競技テニスを引退するまでの間、モールズワースは全豪選手権以外のテニス大会で女子シングルス29勝、女子ダブルス16勝、混合ダブルスで9勝を挙げ、こうしてオーストラリアにおける女子テニスの黎明期の歴史を築いた。モールズワースは長寿にも恵まれ、1985年7月9日に91歳で長逝した。
[編集] 全豪選手権の成績
- 女子シングルス:2勝(1922年&1923年) [準優勝1度:1934年]
- 女子ダブルス:3勝(1930年、1933年、1934年) [準優勝1度:1923年]
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 『我らのオープン-オーストラリア・グランドスラムの100年史』(英語、2004年刊、ISBN 1876176601、全豪オープン公式出版物)
- バド・コリンズ著『テニスのすべて-究極のテニス百科事典』(英語、2003年刊、ISBN 0973144343、スポーツ・クラシック・ブックス)
カテゴリ: オーストラリアのテニス選手 | 1894年生 | 1985年没