マリスカ・ヴェレス
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マリスカ・ヴェレス(Mariska Veres、1947年10月1日 - 2006年12月2日)は、オランダ出身の歌手だった。ロックバンドのショッキング・ブルーでリードボーカルを務めていたことで著名。
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[編集] 来歴
ハーグ市生まれ。父親はハンガリーの移動民族ロマ出身のバイオリン奏者であるラヨシュ・ヴェレス。母親はドイツ生まれの、フランス人とロシア人のハーフ。マリスカは1964年にポップグループLes Mysteresにボーカルとして加入し、歌手としての経歴をスタートさせた。ただし、1966年には他のバンドBlue Fightersに移籍、その後もバンブル・ビーズ(1967年)、Motowns(1967年末頃)と、なかなか一箇所に落ち着かなかった。
1968年、オランダのGolden Earringというバンドがシングル1位を記録した祝賀パーティーで、当時マリスカが所属していたバンブル・ビーズが前座を務めた。この時、彼女の歌唱力とエキゾチックなルックスに目をつけたのが、ショッキング・ブルーのマネージャーと広報担当だった。こうしてマリスカはショッキング・ブルーに誘われ、丁度オランダ陸軍へ召集されてしまうボーカルのフレッド・デ・ワイルドと入れ替わる形でバンドに加入した。1969年から1970年にかけて、彼女の歌声を獲たショッキング・ブルーは世界的な大ヒット「ヴィーナス」(Venus)を飛ばすなどの活躍をし、彼女の知名度は飛躍的に向上した。
ショッキング・ブルーが1974年7月1日に解散した後、後に再結成されるまでの間マリスカはソロ歌手として活動したが、それはお世辞にも順調だったとは言えないものだった。1984年にショッキング・ブルーは再結成され、そこそこの成功を収めていた。またマリスカは、ザ・クラークスとの共演や1993年に並行してジャズグループのThe Shocking Jazz Quintetにもボーカルとして参加するなどの活躍もしていた。
マリスカは、2006年12月2日がんが原因で死去。享年59。独身で通し子供がいない彼女の、猫とお茶とケーキを愛した生涯を終えた。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] ソロ・シングル
- 1965年 Topkapi/Is Het Waar(Is It True?)
- 1967年 Dag en nacht(You’ve not changed)/Al wordt’t nu winter
- 1974年 Need You Near Me - 日本でのみ発売。
- 1975年 テイク・ミー・ハイ - Take Me High/I Am Loving You
- 1976年 あなたのもとに - Tell It Like It Is/Wait Till I Get Back To You
- 1976年 Loving you/You Showed Me How
- 1976年 Liebe Ist…(Loving You)/Ich hab’ an dich geglaubt(You Showed Me How)
- 1976年 Mach Mich Frei(Take Me High)/Ich Liebe Doch Nur Dich(I Am Loving You)
- 1977年 Little By Little/Help The Country
- 1978年 Too Young/You Don’t Have To Know
- 1978年 Bye Bye To Romance/It’s A Long Hard Road
- 1978年 Looking out for number one/So Sad Without You
- 1979年 Neon City
- 1982年 Wake Up City/In The Name of Love
[編集] 外部リンク
- ファンサイト
- Virginia Music Flash ショッキング・ブルーのページ