ボレスワフ1世 (ポーランド王)
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ボレスワフ1世(Bolesław I, 966年/967年? - 1025年6月17日)は、ポーランド王国ピャスト朝の国王。ミェシュコ1世の子(在位:992年 - 1025年)。ボヘミア公(ボレスラフ・フラブリー、Boleslav Chrabrý)。
992年、父ミェシュコ1世の死により後を継いで即位する。神聖ローマ皇帝オットー3世と同盟を結んで関係を強化し、その援助をしたため、オットー3世は1000年にクラクフを訪問してボレスワフ1世に神聖ローマ帝国の貴族の称号と王冠を授けている。
ボレスワフ1世は軍事に重きを置き、強力な騎兵隊を編成して軍備を強化した。そしてマジャル人やクロアチア人の居留地に侵攻してポーランド東南部に勢力を拡大した。甥(妹の息子)にあたるデンマーク王クヌーズ1世(カヌート大王)のイングランド遠征に際しては、配下のポーランド諸侯と騎兵を送って援助した。1018年、キエフ公国と東ローマ帝国が対立すると、東ローマ皇帝と同盟を結んでキエフ公国を撃退する。さらに東ローマから進んだビザンツ文化を次々と取り入れた。また、イベリア半島の後ウマイヤ朝からイスラム文化を取り入れ、ポーランド王国を大いに発展させた。
1025年、死去。武勇に優れていたことから、『勇敢王』と称された。