ホエールウォッチング
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ホエールウォッチング(英:whale watching)は、鯨類やイルカ類を、自然の中で観察するという観光の一種。バードウォッチングなどと類似した趣味のひとつであり、また単に趣味というだけではなく、自然観察などの理科教育、環境教育の一環という位置づけも持つ。もっぱらイルカを目的とする場合には、ホエールウォッチングではなくイルカウォッチングと呼ぶ場合もある。
また、ホエールウォッチングは、「ウォッチングボートの運航」「宿泊」「みやげもの販売」などとも密接に関係しており、観光産業としても注目されている。
現在、ホエールウォッチングは急速に成長しつつある。しかし日本では、注目されると同時に、これまでのクジラをめぐる産業であった捕鯨とは微妙に対立するものとも考えられており、捕鯨産業とホエールウォッチング産業との間でこぜりあいが生じることもある。
[編集] 歴史
ホエールウォッチングの歴史は、アメリカ合衆国・サンディエゴが、コククジラ Gray Whale の観察に好適な地であるとされた1950年に遡る。1955年には、カリフォルニア州サンディエゴのチャック・チェンバリンさんが「コククジラ・ウォッチング、1$」と書いたボートを出してより近くでコククジラを見るという現在のものに近い形態となった。このスペクタクルな見世物は、最初の年に10000人前後の訪問者を呼び寄せ、その後も増加していった。また、その後は周辺の海域でも同様の観光産業が成立した。
1971年には、モントリオールの団体(the Montreal Zoological Society)が、アメリカ東海岸のセントローレンス川河口域で、ナガスクジラ fin whale やシロイルカ beluga を対象とするホエールウォッチングを開始した。
1970年代の終わりには、ニューイングランドでは重要な産業のひとつと呼べるほどにまで成長し、1985年には観客数で発祥の地であるカリフォルニアを逆転した。この逆転の原因となったのは、この地方ではザトウクジラ humpback whale なども見ることができ、そのザトウクジラの派手な行動が人々をひきつけたせいではないかと思われる。
1980年代以降、ホエールウォッチングは全世界に広がりつつある。1998年にはエリック・ホイト(Erich Hoyt) がホエールウォッチングに関する体系的な調査を行った。それによると、ホエールウォッチングが産業として行われているのは世界中で87カ国にもおよび、900万人以上(おそらく年間・原資料に明記なし)の客を集め、産業規模は10億ドル(おそらく年間)に達しているとのことであった。更に2000年の調査によると、その数字は1130万人/14億ドル以上となっているという。
[編集] 規制
ホエールウォッチングが産業として魅力的であると考えられたことから、観察対象である鯨類に悪影響を与えかねないような情況もまた見受けられるようになってきた。そのため、現在のホエールウォッチングでは、以下のような点への配慮が求められている。
- ウォッチングボートのスピードは、可能な限りゆっくりにすべきである。
- ウォッチングボートは、突然コースを変えてはならない。
- ウォッチングボートは、なるべく静粛なものとすべきである。
- ウォッチングボートは、クジラを追跡してはいけない。取り囲んではいけない。クジラとクジラの間に割り込んではいけない。
- クジラを驚かせてはならない。
- 同時に海域に出るウォッチングボートの数は、少なくすべきである。
- ドルフィン・スイム(イルカとともに泳ぐこと)については、更に注意が必要である(しかし残念ながらこの項目は、現実問題、あまり守られてはいるとは言えない)。
ポピュラーなホエールウォッチングポイントでは、たいてい上記のようなルールを持っており、ホエールウォッチングを「エコツーリズムの一種」と位置づけている。しかし、必ずしも足並みがそろっているわけではなく、今後の更なる環境整備や人間側のルールづくりが求められている。
[編集] 日本のホエールウォッチング
日本では、1988年に、鯨者連という団体が東京都・小笠原で行ったものが最初であったとされている。
現在は、北海道・知床および函館、東京都・小笠原、千葉県・銚子市、和歌山県・串本町、高知県の沿岸部各地、沖縄県・慶良間諸島の座間味などでホエールウォッチング/イルカウォッチングができる。