ベルナール・パリッシー
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ベルナール・パリッシー(Bernard Palissy, 1510年頃 - 1590年)は、フランス・ルネサンス期に活躍した陶工である。
ガラス工として各地を遍歴。ガラス工の需要が少なく、測量の仕事に従事した後、独力で釉陶の研究に取り組んだ。貧困の中、家具や床板まで燃料にして研究を続けたというエピソードがある。15年ほどかかってようやく技法を完成し、「田園風土器」として人々に知られるようになった。
プロテスタント(新教徒)であったため、度々弾圧を受けたが、才能を認めたアンヌ・ド・モンモランシー将軍やカトリーヌ・ド・メディシスの庇護を受けた。チュイルリー宮殿内の工房で、王室のために作品を制作した。
1575年からパリで地質学、鉱物学、博物学など自然科学に関する講演会を約10年間続けた。
1585年の勅令で新教徒はカトリックへの改宗か国外亡命を迫られたが、従わなかった。庇護者のカトリーヌ・ド・メディシスが1589年に亡くなった後、捕らえられ、バスティーユ牢獄で獄死した。