ヘルムート・ラッヘンマン
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ヘルムート・フリードリッヒ・ラッヘンマン(Helmut Friedrich Lachenmann, 1935年11月27日 - )は、ドイツの現代音楽の作曲家。二度結婚して2男・3女をもうけた。
目次 |
[編集] 略歴
父親がプロテスタントの牧師、母親が教会音楽家で、兄も牧師という宗教的で音楽的にも恵まれた家庭に育つ。地元のシュトットガルトの音楽大学でピアノと理論を学んだ後奨学金を取り、イタリアのベネチアでルイジ・ノーノに2年間プライベートで師事。その後シュトックハウゼンのケルナー・クルスと呼ばれる作曲講習会に2回ほどこれも奨学金で参加して、前者に匹敵するほどの理論的な影響を受け、ブーレーズにも共鳴した。前衛の停滞以後、ブライアン・ファーニホゥと共にダルムシュタットのいわゆるポスト・セリエルを代表する長らくの常連であった。
[編集] 作風
特殊奏法のデパートと形容されることが最も多く、初期の作風はあらゆる繰り返しを否定したミュージック・セリエルのダルムシュタット理論を更に音色面と変容法で発展させた音響作曲法を成す。同じ特殊奏法で出発したが其の理論の影響を直接受けていなく電子音楽的な組み立てで音楽を構成している。初期のペンデレツキとは別のものであるが、其の根底には同じくベルギーのゲントでの電子音楽の経験から来た音響作曲法の大きな5つの音響作曲理論がある。
前衛の停滞以後、特殊奏法を用いた作曲家たちはほとんどが魅力を失う中、「伝統の異化」作用という大きな戦略が時代の要請に答えた形となり、ペンデレツキの特殊奏法からの撤退もあり、熱烈な支持と共にシュトックハウゼン以後のドイツを代表する中核的な作曲家とみなされるようになったのは1980年代である。マティアス・シュパーリンガー、ゲラルト・エッケルト、ヨハネス・カリツケ、ベアート・フラー、ゲルハルト・R・ヴィンクラ-やその他の弟子達の作品に影響がストレートに現れている。
1970年代末期以降は、用いる特殊奏法は徐々に模倣や学習がしやすいタイプへ傾斜し、このことが名声を上げる結果にはなった。しかし、この作風の展開には現在でも大きく賛否両論が割れている。
[編集] 教育
近年、名誉博士号が授与されたハノーファーと母校のシュトットガルトの音楽大学・大学院の作曲科の教授として教え、日本人では久保摩弥子(ハノーファー)、莱孝之(プライベート)、菅野茂、小林明美などの生徒がいて、莱以外は現在皆ヨーロッパ在住である。ミュンヘンからは音楽のノーベル賞と呼ばれるジーメンス音楽賞も獲得した。
[編集] 代表作
オペラ「マッチ売りの少女」、「門構え」、「コントラ・カデンツ」、チューバとオーケストラの為の「ハルモニカ」、「塵」、「タヴロー」、増幅ピアノとオーケストラの為の「終止音」、「第二弦楽四重奏曲」、弦楽四重奏とオーケストラの為の「ドイツリートを伴う舞踏組曲」、ピアノ独奏の為の「グエロ」、フルートとトロンボーンとオーケストラの為の「ヌン」他。