プネー
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プネー(Pune पुणे)は、デカン高原に位置するインド・マハーラーシュトラ州で二番目に大きな都市。
1999年以前は、プーナ(Poona)の名称も並行して使われていたが、イギリス統治以前の名称であるプネーに政治的に統一された。プーナの名称も非公式に使われている。プーナは英国植民地時代に英国によって呼ばれた名前。 海抜600メートルの高原にあるため、ムンバイの避暑地として発達した。現在はデカン高原を防御する軍事施設の中心。
大きな工業の中心であり、多くの研究施設や、高等教育機関がある。ソフトウェア開発で注目され国が力を入れている。ハイテク機器のバンガロールとならんで示される。
20世紀前半にヨーロッパに影響を与えた神秘家のメヘル・バーバーが過ごした。また、マハトマ・ガンジーが一時期監禁された場所でもある。
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[編集] 歴史
[編集] 文化
8月末または9月始めに行われるガネーシュ・フェスティバルが有名。満月を最終日として10日間行われる。もともとは大きなフェスティバルではなかったが、独立運動に際して人々が集まるための方便としてインド国民会議派初代議長のティラクにより計画的に大きくされた。インド独立後も大きなフェスティバルとして続いている。
20世紀の神秘家として知られるオショウが多くの期間をここで過ごし、肉体を離れたオショウ・コミューンがあり、現在観光ルートの一つになっている。
インドのゾロアスター教徒のほとんどがムンバイまたはプネーに暮らしている。3つ程のゾロアスター教の寺院があり、ゾロアスターが点火したといわれる炎がイランから持ち運ばれて燃え続けている。異教徒は寺院に入ることは出来ない。ゾロアスター教徒はビジネスで成功している裕福な階級が多く、ムンバイとプネーの両方に家を持っている人も多い。
[編集] 地域
- コレガオン・パーク - 以前はマハラジャ達の避暑用の別荘地として知られていた。現在も森の中に大邸宅がならんでいる。以前マハラジャ達は乾期、ここに集まり近くにある競馬場で競馬を楽しんだ。
- エンペレス・ガーデン - 競馬場の向かいにある森林公園。
- MGロード - 小売の商店が並ぶ。
- ラクシミ(Laxmi)・ロード - 卸売の商店が数キロメートル四方の範囲に多く並ぶ。同じタイプの商品を売る商店は同じ地域に集まっている。
[編集] 気候
雨期を除いて雨が降ることはほとんどない。
- 冬:11月から3月までは、冬と呼ばれるが過ごしやすい気候で、観光的にはシーズンになる。
- 夏:4月から6月中頃までは、夏と呼ばれ灼熱の日々が続く。ただし空気は乾燥しているため木陰は比較的涼しい。
- 雨期:6月中頃から9月中頃までは雨期と呼ばれ、一年のほとんどの雨が降る。7月中頃から8月中頃までが雨期のピークで雨の日が多く一週間雨が降り続いたりする。その前後は、数時間雨が降った後は快晴になり夏に比べて過ごしやすい。
- 秋:9月中頃から10月は、比較的過ごしやすい気候である。年によっては10月まで雨が降る異常気候が近年起きている。
[編集] 教育
[編集] 交通
- リキシャ - 市内の移動は簡易タクシーである三輪のオート・リキシャを使うのが一般的。町のどこでもつかまえることができる。プネーでリキシャと呼んだ場合、オート・リキシャを指すのが通常で、人力のリキシャや、サイクル・リキシャ(自転車のリキシャ)はほとんど存在しない。
- タクシー - タクシーは一般的ではなく、長距離の移動に使われる。ムンバイとの間を往復するタクシーがある。
- 飛行機 - 郊外に飛行場があり国内便が飛んでいる。
- 高速道路 - 2002年にムンバイとプネーを結ぶ高速道路が開通した。ムンバイの中心地やムンバイ国際空港まで3時間ほどで連絡する。
- 鉄道 - プネー駅が中心の駅で各種の長距離路線が走っている。プネーを始発にする長距離路線も多い。ムンバイまでの連絡は、3時間で連絡する特急と、5時間半程で連絡する普通列車などがある。詳細はインドの鉄道一覧を参照。
- 長距離バス - 都市を結ぶ長距離バスがある。ムンバイまでのバスの本数は多い。外国人旅行者が多くゴアへ12時間程で行く寝台式の長距離バスも多く走っている。