パーディシャー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パーディシャーあるいはパードシャー(トルコ語 : padişah; ペルシア語 : پادشاه' pādshāh)は、ペルシア語で「大王」を意味する語で、イスラム世界において「皇帝」に近い意味をもつ君主の称号(君主号)のひとつ。
「シャー」の上位の称号だが、イラン高原では「シャーの中のシャー」を意味するシャーハンシャーがより高い地位を示す称号として用いられるに過ぎなかった。カージャール朝などではシャーハンシャーが君主の称号であったのに対し、パーディシャーは地方領主などが用いていた。
オスマン帝国では君主の最も一般的な呼称であり、末期にはパーディシャー(皇帝)は世俗権力であるスルタン権と宗教権威であるカリフ権を兼ね備えていると規定された。オスマン帝国の君主はスルタンの称号で呼ばれることが多いが、帝国の中ではスルタンの称号は君主の后妃や娘の称号などにまで広く用いられ、むしろ君主の称号はパーディシャーの方であった。
また、オスマン帝国は外交上、フランスなどの有力な同盟国の君主を通例「パーディシャー」と呼び、それ以外の国の君主に対して用いる「王」「シャー」「ベイ」などと区別して優遇を示した。ヨーロッパにおける本来の皇帝の称号の保持者である神聖ローマ皇帝にパーディシャーの称号が認められたのは、オスマン帝国の軍事力がヨーロッパに対して相対的に低下した17世紀のことであった。18世紀にはようやくロシア皇帝に対してもパーディシャーの称号が認められ、次第にパーディシャーを頂くオスマン帝国と外交上対等な外国の君主に広く用いられる称号に過ぎなくなってゆく。
インドのムガル帝国もパーディシャーの称号が君主の称号として用いられた。王朝の始祖バーブルが初めてパーディシャーを称して以来、支配下にハーン、ラージャなど様々な称号をもったムスリム(イスラム教徒)・ヒンドゥー教徒の有力者たちを抱えたムガル帝国において、パーディシャーは最高君主を意味する称号であった。