パレスチナ解放人民戦線
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パレスチナ解放人民戦線( - かいほうじんみんせんせん、PFLP、英:Popular Front for the Liberation of Palestine、アラビア語:الجبهة الشعبية لتحرير فلسطين)は、パレスチナ解放機構(PLO)の一派の組織でパレスチナ解放を目標とする過激派。アメリカ合衆国、EUはテロ組織に指定している。
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[編集] 組織概要
1967年、PLOのマルクス・レーニン主義者ジョージ・ハバッシュ(東方正教キリスト教徒系)によって設立。PLO内でも過激な行動を起こしていた。1968年には、パレスチナ解放民主戦線(DFLP)と分裂。1970年代には欧州各地でのハイジャックなど多数の国際テロ攻撃を犯した。1978年からイスラエル人あるいは中産階級アラブ人を標的に対する攻撃を数多く行ない、1996年12月には移住者とその息子を殺害。現在もPLO内の反主流派最大の勢力を維持している。1993年のオスロ合意には反対しPLOを離脱(1996年復帰)。2001年8月にはイスラエルがアブアリ・ムスターファ議長を暗殺。後を継いだアーマド・サアダート議長は2001年10月の観光相暗殺テロの容疑により獄中にいた。しかし、2006年3月、イスラエルがパレスチナ自治区内にある刑務所に侵攻し釈放直前のサアダートを拘束した。パレスチナ自治政府の野党で2006年1月の総選挙でも議席を獲得している。
[編集] 主な活動
- 1968年7月23日:ボーイング707型エル・アル航空機のハイジャック
- 1968年12月26日:ゲリラ2人が、アテネ空港に寄港中のイスラエル航空機に手榴弾を投げ、銃撃。乗客乗員3人死傷
- 1970年9月6日:西ドイツのフランクフルト発TWA航空機と、スイスのチューリッヒ発スイス航空機など4機を同時ハイジャックし、ヨルダンにあるイギリス空軍用のドーソン基地に着陸。服役中のゲリラ解放を要求。これにヨルダン国王が激怒。ヨルダン内戦の引き金になる。
- 1976年6月27日:パリ行きの乗員・乗客合わせて256人搭乗のエールフランス139便エアバスA300がテルアビブを離陸後、PFLPのゲリラとバーダー・マインホフ・グループの流れを汲む西ドイツのゲリラがハイジャック、服役中の40人のゲリラの解放を要求。アフリカ大陸を南下し、ウガンダのエンテベ国際空港に着陸。イスラエル国籍者とユダヤ人だけを人質として残し、他の乗客全員を釈放。7月3日イスラエルが救出作戦を決行。
- 1973年7月20日:日本赤軍の丸岡修を含む混成メンバーが日本航空機をハイジャックした。いわゆるドバイ日航機ハイジャック事件。
- 1977年10月17日:西ドイツのルフトハンザ航空機をバーダー・マインホフ団のゲリラとともにハイジャックし、13人のゲリラの釈放を要求。レバノンをはじめアラブ諸国への着陸を次々拒否され、アラブ首長国連邦に着陸も燃料補給をし最終的には西ドイツ政府が誘導し、ソマリアのモガディシュ空港に着陸、ドイツ連邦国境警備隊 第9対テロ部隊(GSG-9)が突入、人質は無事解放、犯人は3人死亡、1人逮捕という結果におわる。
- 2001年10月:イスラエル、ゼエビ観光相暗殺テロ。アブアリ・ムスターファ議長暗殺の報復によるもの。
- 2006年3月:サアダート議長拘束に反発し、パレスチナにおける外国人拉致、イギリス文化施設襲撃
[編集] 歴代議長
- ジョージ・ハバッシュ(1967年~2000年5月)
- アブアリ・ムスターファ(2000年5月~2001年8月、2001年8月イスラエルにより殺害)
- アーマド・サアダート(2001年10月~、現在拘束中)