パトリキウス
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パトリキウス(386年 - 493年3月17日)は、アイルランドにキリスト教を広めた司教。カトリック、東方正教会などでは聖人。アイルランドの守護聖人。しばしば英語読みの聖パトリック(Saint Patrick)とも言及される。パトリキイとも。アイルランド語ではPádraigと綴り、ポーリクなどと発音する。
パトリキウスはイギリス西部、ウェールズで生まれ、幼少時、奴隷としてアイルランドに連れて来られ、その後神の声を聞きお告げに従い牧場を脱走しイギリスに戻り神学を学ぶためヨーロッパ大陸へ渡った。彼は7年間神学を学んだ後、故郷のウェ-ルズへと帰国する。
432年、ケレスティヌス1世(ローマ教皇)から布教の命を受け、再びアイルランドを訪れる。
このときアイルランドに元々存在したケルトの宗教観を改宗させるのではなくキリスト教とケルトの宗教観を融和させる形を取りキリスト教を布教した。そのことはケルト十字(Celtic Cross)に象徴される。
その際シャムロックを手に『三位一体』を説いたためシャムロックは彼のシンボルとなった。
パトリキウスの命日3月17日は西方教会で記念日とされる。現在のカトリック教会では任意の記念日であるが、アイルランドやアイルランド移民の多いアメリカやオーストラリアでは、聖パトリックの日(St. Patrick's Day)として盛大に祝われている。とくにアメリカでは世俗化し、カトリック信徒でないものでも緑の服を着るなどしてこの行事に参加する人も多い。
[編集] 色々な伝説
パトリックは伝説の多い人である。
[編集] アイルランドに蛇がいない
パトリックは蛇や有毒な動物達を太鼓を鳴らしアイルランドから海へと追いやり、以後これらの有毒な動物はアイルランドの大地に触れるだけで死にいたると言われるようになった。そのためアイルランドの木々さえも毒に対する効能を持ち、ケンブリッジ大学の書物にも「アイルランドの木材で建てられた建築物にはクモが寄り付くことは決してない。」とあるほどである。
[編集] パトリックの死
465年、パトリックは臨終の際、友人や信者に「私のことは悲しまず、天国へ行く私のために祝って欲しい、そして心の痛みを和らげるよう、何かの雫を飲むように。」と言葉を残した。そのためアイルランドではウイスキーが好まれるようになった。
著書に『聖パトリックの告白』と『コロティクスの兵士への手紙』があるとされている。
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