パイク
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パイク
パイク(pike)は、15世紀から17世紀にかけ、歩兵の対騎兵用武器として使用された竿状武器(ポールウェポン)の一種である。 4mから7m程度の長い柄に25cmほどの木の葉状の刃がついており、重量は3.5-5kgだった。 パイクの名称は15世紀、フランス語でピケ(pique)と呼ばれた歩兵用の槍の英語発音である。
[編集] 概要
パイクを持った歩兵は主に隙間なく密集方陣または横隊を組んで前進し、歩兵に対しては上から叩きつけ打ち下ろすことによって、騎兵に対しては腰ために構え、ひざを当てて固定し槍衾を作ることによって対抗した。 彼らの任務は突撃してくる騎兵や歩兵の迎撃だったが、しばしば味方の射手や騎兵の援護、撤退する味方の支援などにあたった。こうした運用方法は、日本の戦国時代の足軽用の槍である長柄と酷似している。
パイクはこのように幅広い用途に用いられ大変効果的だったため、17世紀後半までは主要な歩兵用武器だったが、銃剣の発明により射手が白兵戦も行えるようになると完全に姿を消した。
[編集] 歴史
古代ギリシャにおいて、すでにサリッサというパイクに似た長槍が使われていた。マケドニア軍のアレクサンドロス大王はこれを最大限に活用し、彼のマケドニア式ファランクスは全軍の中央に位置し敵軍の攻撃に耐え、その間に大王率いる騎兵が側面を包囲、殲滅すると言う戦法は無敵を誇った。 大王の死後、サリッサはさらに長くなり、弱点であった機動力はさらに低下した。援護する騎兵や熟練兵の減少もあって共和制ローマが台頭すると、ローマの投槍とグラディウスで武装したレギオンに対抗できずにほぼ姿を消し、その後1600年間サリッサのような歩兵密集隊の用いる長大な槍が使われることはなかった。
15世紀初頭、スイス兵は主にハルバードやバトルアックスで戦っていた。しかしそれらの武器は騎兵のランスに対しては余りにも短く、しばしば騎兵によって蹂躙されていた。 しかし、1422年6月30日、アルベドの戦いにおいて、初めてパイクが登場し、イタリア一の精鋭と言われていたミラノ騎兵を撃退、その後スイス兵はパイクを主要な装備とし、パイクを持ったスイス兵は屈強な肉体、厳しい訓練と規律のために軽快な機動が可能で、ヨーロッパで最も精強な軍隊となった。
スイス兵は各地で傭兵として雇われ、パイクも瞬く間にヨーロッパ中に広まった。特にスイス傭兵を大量に採用したのはフランス軍で、フランス軍は当時最強の陸軍大国として君臨した。 火器が発明されてもその重要性は変わらず、マスケット銃を装備した部隊は装填や隊形の変更などの間、パイク兵の援護を受けねばならなかった。
17世紀末、マスケット銃の先に取り付け使用する銃剣が発明された。これにより銃兵は独力で近接戦闘が可能になり、完全にパイクに取って代わった。
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