バイユーのタペストリー
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バイユーのタペストリー(Bayeux Tapestry)は、ノルマンディのバイユー大聖堂に保管されていた縦50cm、横70mの巨大なタペストリー(つづれ織り)で、1066年のノルマン・コンクエストにおけるヘースティングスの戦いまでの物語が刺繍されている。現在ではフランス国宝としてバイユー美術館に展示されている。王妃マティルダのタペストリーとも。
以前は、ウィリアム1世の王妃マティルダが征服を記念して寄進したものとされ、「王妃マティルダのタペストリー」と呼ばれていたが、近年の研究ではウィリアム1世の異父弟ウード司教が作らせたものと考えられている。理由としてはウード配下の3人の司教がタペストリーに描かれていることと、バイユー大聖堂はウードが建立したものであり、当初からタペストリーが飾られていたと考えられるからである。
その後、18世紀までタペストリーは忘れさられており、フランス革命時に武器箱の覆いに使用されていたのを地元の弁護士が気づいて危うく喪失を免れた。1803年にナポレオンがパリに持ち帰ったが、イギリス侵攻の参考にするためだったという。その後、バイユーに戻され、第二次世界大戦中には、ドイツ軍に接収された後、ルーブル美術館の地下に保管されていた。
[編集] 物語
タペストリーの物語はエドワード懺悔王が、ノルマンディ公ギヨームを後継者とすべくハロルド・ゴドウィンソンを使者として送るところから始まり(これは、当然ながらギヨームの主張に基づいて描かれている)、ヘースティングスの戦いにおけるハロルドの死で終わっている。