ノーザンプトン (重巡洋艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1928年4月12日 |
進水: | 1929年9月5日 |
就役: | 1930年5月17日 |
退役: | |
その後: | 1942年11月30日沈没 |
除籍: | |
性能諸元 | |
排水量: | 9,050 トン |
全長: | 600 ft 3 in (182.9 m) |
全幅: | 66 ft 1 in (20.1 m) |
吃水: | 16 ft 4 in (5.0 m) |
機関: | |
最大速: | 32.5 ノット (60 km/h) |
航続距離: | |
兵員: | 士官、兵員625名 |
兵装: | |
航空機: | |
モットー: |
ノーザンプトン(USS Northampton, CL/CA-26)は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ノーザンプトン級重巡洋艦の一番艦。艦名はマサチューセッツ州ノーザンプトンに因み、その名を持つ艦としては二隻目。
ノーザンプトンはマサチューセッツ州クインシーのベスレヘム・スチール社、フォアリバー造船所で1928年4月12日に起工、1929年9月5日にグレース・クーリッジ(カルビン・クーリッジ大統領夫人)によって進水し、1930年5月17日にウォルター・N・ヴァーノウ艦長の指揮下就役した。
就役後大西洋艦隊に編入され、1930年の夏の間は地中海で慣熟航海をおこなった。1931年に重巡洋艦(CA-26)に類別変更され、1932年からは母港をサンペドロ、後に真珠湾と設定され、主として太平洋で活動した。
1941年12月7日の真珠湾攻撃の時、ノーザンプトンはウィリアム・ハルゼー提督が座乗する空母エンタープライズ(USS Enterprise, CV-6)と共に海上にあった。翌日港に戻り、9日に部隊はオアフ島北東の捜索に出撃した。それからジョンストン島の南へ向かい、その後再び北上してリシアンスキー島とミッドウェー島の西で敵の捜索に当たった。1942年2月1日にはウォジェ環礁を重巡洋艦ソルトレイクシティ(USS Salt Lake City, CA-25)とともに砲撃した。また、2月24日にはウェーク島を砲撃した。
3月4日、部隊は南鳥島を空襲してそれから真珠湾へ向かった。4月はじめノーザンプトンを含むエンタープライズの部隊は再び出撃し、空母ホーネット(USS Hornet, CV-8)の部隊と合流して4月18日にホーネットを発進したB-25爆撃機が東京を爆撃した。その後いったん真珠湾で補給を行い、部隊は南西太平洋へ向かいそこに到着したのはちょうど珊瑚海海戦が終わったあとであった。真珠湾に戻った部隊は次はミッドウェー海戦に参加した。ノーザンプトンは損害を受けず6月13日に真珠湾に帰還した。
7月中旬、ノーザンプトンは南西太平洋へ向かいガダルカナルの戦いに加わった。9月15日、サンクリストバル島南東で部隊は潜水艦の攻撃を受け空母ワスプ(USS Wasp, CV-7)、戦艦ノースカロライナ(USS North Carolina, BB-55)と駆逐艦オブライエン(USS O’Brien, DD-415)が被雷した。10月26日、南太平洋海戦に参加。
11月30日、ルンガ沖夜戦で日本艦隊の放った魚雷が2本命中、沈没した。
ノーザンプトンは第二次世界大戦の戦功で6つの従軍星章を受章した。
[編集] 外部リンク
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