ネーメ・ヤルヴィ
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ネーメ・ヤルヴィ(またはネーメ・イェルヴィとも、Neeme Järvi, 1937年6月7日 - )はエストニア出身の指揮者。
タリン出身。タリン音楽学校に学んだ後、レニングラード音楽院に進んでエフゲニー・ムラヴィンスキーに師事。初期の経歴において、エストニア放送交響楽団、エストニア国立交響楽団、タリン歌劇場に職を得た。1971年にサンタ・チェチーリア音楽院国際指揮者コンクール首位受賞。
1980年にアメリカ合衆国に出国。1982年にイェーテボリ交響楽団の、1990年からはデトロイト交響楽団の首席指揮者に就任。2005年6月、15年間にわたる栄光の地デトロイトより去った。
ヤルヴィは、カラヤン以後の世代で最も録音数の多い指揮者として記憶と記録に残されている。厖大なレパートリーの中でも、ロマン派音楽と20世紀音楽の解釈は定評があり、フランツ・シュミットの交響曲全曲録音は、この作曲家の名声の復活と、国際的な普及に貢献した。エストニア音楽の庇護者でもあり、エドゥアルド・トゥビンやアルヴォ・ペルトの録音も有名で、ペルトの「クレド」は1968年にヤルヴィの指揮で初演された。
得意とする作曲家はショスタコーヴィチで、「交響曲第7番『レニングラード』」の録音やバレエ音楽の録音は定評がある。また、デトロイト時代には積極的にアメリカ人交響曲作家の系譜をたどり、チャドウィックやエイミー・ビーチ、チャールズ・アイヴズ、サミュエル・バーバー等の作品を録音して世界に広めた。
ヤルヴィは、速いテンポ設定によって、音楽のうねりや力感を強調するとともに、情緒やニュアンスを排した解釈が特徴的である。そのため、ヤルヴィの解釈は、一方では知的で構成力を感じさせる半面、ともすれば無味乾燥ともとられかねない。しかし、細部にとらわれずに、巧みな牽引力によってオーケストラから輝かしく力強い音色を引き出し、爆発的に燃焼力の高い演奏を行なっている。
長男パーヴォ(1962年 - )、次男クリスチャン(1972年 - )も指揮者。長女マーリカ(1964年 - )はフルート奏者。