ネオプラトニズム
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ネオプラトニズム (Neoplatonism) は、プラトン(と後継者)の教説に類似する思想のことを指す。紀元3世紀ごろにプロティノスによって展開され、ルネサンス期にイタリアでも再び盛んになった。
なお、この「ネオプラトニズム」という言葉は、19世紀のシュライアーマッハー以降、文献学により、プラトン自身のオリジナルの教説と後世の追随者の思想とが区別して捉えられるようになって初めて生まれた造語であり、古代やルネサンスの人々がその思想を「ネオプラトニズム」と呼んでいたわけではないことは注意しなければならない。「新プラトン主義」と訳されることも多いが、原語の"neo-"が意味するニュアンスが消えてしまうため、ネオプラトニズムと呼ぶことが望ましい。
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[編集] 古代
ネオプラトニズムの創始者はプロティノスとされる。プロティノスの思想はプラトン哲学を出発点としており、プラトンの正しい解釈として考えられたものであるが、実際に構築された哲学体系はプラトンのオリジナルのものとはかけ離れたものとなっている。
プロティノスの時代には、ギリシア起源の思想に、当時の政治体制が一体化したオリエントからの思想が流入して、グノーシス主義という複雑怪異な思弁が流行していたが、ネオプラトニズムもそうした当時の思想動向から大きな影響を受けている。
また、逆にネオプラトニズムも神秘主義思想へ大きな影響を与えた。
ネオプラトニズムの思想の大きな特徴は、一者からの流出の観念である。
「一者」の思想は容易に「一神教」と結びつき、ネオプラトニズムの思想は中世ヨーロッパのキリスト教思弁哲学の基盤のひとつとなった。
[編集] ルネサンス期
ルネサンス期においても、プラトンの思想とネオプラトニズムは区別されていなかった。
15世紀のフィレンツェでメディチ家を中心にプラトン研究が盛んになり、プラトンやプロティノスの著書がラテン語に翻訳された。
美に対するプラトン的な愛(プラトニック・ラブ)によって人間は神の領域に近づくことができると考えられた。
ネオプラトニズムの思想はルネサンスの文芸・美術にも大きな影響を与えた。