ニコラス・ネグロポンテ
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ニコラス・ネグロポンテ(Nicholas Negroponte、1943年 — )は、計算機科学者。マサチューセッツ工科大学メディアラボの創設者・名誉会長として知られる。アメリカ合衆国国家情報長官ジョン・ネグロポンテの実弟。
ネグロポンテは、ギリシア人の海運業の有力者の息子として誕生し、ニューヨークのアッパーイーストサイドで育った。ニューヨークのBuckley校、スイスのLe Rosey校など転校を繰り返し、最終的にコネチカット州WallingfordのChoate Rosemary Hall高校を1961年に卒業した。その後、MITの大学および大学院の建築科で主にCADを研究した。1966年にMITで建築学の修士号を得、同年MITの教員となった。それから数年のうちに、MITの他にイエール大学、ミシガン大学、カリフォルニア大学バークレー校の客員教授として教えるようになった。
1967年、ネグロポンテはMITのArchitecture Machine Groupを設立。この組織は、マンマシンインターフェースへの新しい取り組みを研究する、研究所とシンクタンクの合同体であった。1985年、元学長ジェローム・ウィーズナーと共にMITメディアラボを設立。所長として、メディアラボを、新しいメディアの傑出した研究所、インターフェース研究の高度な活動の場に育てあげた。
1992年、ネグロポンテは最初の出資者として、コンピュータ関係の雑誌Wired Magazineの創刊に関わった。1993年から1998年まで、月に一度コラムを寄せ、基本的なテーマをこう何度も繰り返した。「アトムからビットへ」
1995年、Wired誌に掲載した数多くのアイディアを敷衍して、ベストセラー『ビーイング・デジタル』を著した。この書籍は、インタラクティブな世界とエンターテイメントの世界、情報の世界が、いかにして統合されるかを予測したものである。『ビーイング・デジタル』はベストセラーとなり、およそ20もの言語に翻訳された。日本語訳も1995年のうちに出されている。しかしながら、批評家たちは、そのテクノユートピア的発想は、技術の革新と一緒に示すべき歴史的・政治的・文化的な考察に欠けている、と批判した。数年後、ドットコムバブルがはじけ、この本は時代遅れだと見なされるようになった。
2000年、メディアラボの所長を退き、ウォルター・ベンダーがその地位についたが、会長の地位には留任した。2006年にフランク・モスが所長に指名されると、ネグロポンテはOLPCに専念するため、会長の座を降りた。MIT教授には今なお在任中。
2005年11月、チュニスで開かれた世界情報社会サミットで、ネグロポンテは、発展途上国の学生のために設計されたOLPCを明らかにした。このプロジェクトは、発展途上国におけるインターネットアクセスを広めるため、ネグロポンテがMITメディアラボの同僚と設立したNPO団OLPCの大きな計画の一部である。
ネグロポンテは、モトローラ社やアンビエントデバイス社などの理事会の役員を勤めている。過去30年の間に30以上もの企業に設立投資をしており、代表的な企業にZagats、WIRED誌、アンビエントデバイス社、Skypeがあげられる。
[編集] 参考文献
- Kirkpatrick, David (Nov. 28, 2005). "I'd Like to Teach the World to Type". Fortune, pp. 37–38.
- Negroponte, N. (1970). The Architecture Machine: Towards a More Human Environment. Cambridge, Mass.: MIT Press. ISBN 0-262-64010-4
- Negroponte, N. (1995). Being Digital. Knopf. (Paperback edition, 1996, Vintage Books, ISBN 0-679-76290-6
- ニコラス・ネグロポンテ『ビーイング・デジタル - ビットの時代 新装版』福岡洋一訳、アスキー、2001年 ISBN 4-7561-3965-5
[編集] 外部リンク
- メディアラボ内のホームページ(英語)
- ネグロポンテ所長が語るメディアラボの現在と未来 Hotwired内の記事。
- Beyond Being Deigital MYCOMジャーナルに掲載された、来日時の講演のレポート。