ドミンゴ・マルティネス
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ドミンゴ・マルティネス(Domingo Martinez、1965年8月4日 - )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手で2006年より中日ドラゴンズの外国人選手のスカウトを担当する。現役時代のポジションは内野手、外野手である。日本では1997年-1998年は西武ライオンズ、1999年-2001年は読売ジャイアンツに所属した。背番号は西武時代が60、巨人時代が48。
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[編集] 来歴
[編集] 西武時代
1996年限りで巨人にFA移籍した清原和博に代わって中軸を打てる選手と期待され、1997年西武に入団した。しかしオープン戦では全く打てず、当時の東尾修監督は「代わりの外国人選手を探してくれ」とフロントに泣きつく有様だった。しかし「もう少し様子を見よう」ということになりシーズン開幕を迎えた。第1戦こそノーヒットだったものの第2戦に本塁打を放ち、その後も勝負強い打撃を披露して打ちまくり、「5番・指名打者」に定着した。「マルちゃん」のニックネームをつけられチームの人気者でもあった。だが1998年オフ、2年連続で30本塁打、90打点を挙げたのにもかかわらず、走れない、守れない、そしてチームを若返りさせることを理由に西武を解雇された。東尾監督に嫌われたとも西武球団が代理人ともめたとも言われるが、ファンはこの決断に首を捻った。(その西武は翌1999年、代わりに採った外国人打者が揃って打てず、優勝を逃している)。余談ではあるが、車を持っていなかったためホームゲームでは西武球場(当時)に西武鉄道を使い電車通勤をしていた。
[編集] 巨人時代
1999年はメキシカンリーグでプレーしていたが6月、打線の迫力不足に悩んでいた巨人が獲得した。最初は代打で不振が続いたものの、スタメン・レフトで起用されると活躍し、この年不振と故障にあえいだ清原の代わりに4番・ファーストに入ることも多かった。2000年も負傷の清原の穴を埋め前半戦のMVPと称される活躍ぶりだったが、清原の復帰とともにベンチに追いやられた。元々太りやすい体質で、試合に出られないことからますます太ってしまい、晩年は動きも悪くなっていた。その後も常時出場とは行かず2001年オフ、契約年数が切れたため退団した。巨人時代はレフトを守ることも多かったが鈍足であまりに守備がお粗末なため、投手陣から「マルティネスにレフトを守らせないで欲しい」と要望が出る有様だった。但し、肩は強く幾度もランナーを刺した。西武時代、当時共にクリーンナップを打っていた高木大成、鈴木健と守れるポジションが被り、日本シリーズでレフトを守ることも検討されたがあまりのひどさに西武首脳陣は断念したという。 なおレギュラーを争った清原との不仲説が囁かれていたが、レギュラー争いをしている時の清原は「マルちゃんはいい奴だから殴れないし気持ちをどこにぶつけていいのか」とぼやいていた。帰国の際、清原から餞別にブランデーをプレゼントされ「見てくれ、キヨがくれたんだぜ」と、とても喜んでいた。
[編集] 略歴
- 身長・体重 1m85cm、102kg
- 投打 右/右
- 出身地 ドミニカ共和国・サントドミンゴ
- 球歴・入団経緯 ラ・リザベラ・グスタボアドルフォ・ベカール高 - 2Aノックスビル - 3Aシラキュース - トロント・ブルージェイズ- 3Aロチェスター -西武ライオンズ(1997年) - メキシカンリーグ- 読売ジャイアンツ(1999年途中)
[編集] 日本での通算成績
- 538試合 打率.293(1696打数497安打)104本塁打 350打点 9盗塁
[編集] タイトル
- ベストナイン 1997年(指名打者部門)
[編集] 背番号
[編集] アラカルト
前述の通り、長所も短所も兼ね備えた典型的な選手であったが、西武時代、(1998年)それ故にチームメイトやファンから大変好感を持たれそのキャラクター、並びに打てば豪砲ともいえる強烈な本塁打を量産するという活躍に対し、そして何より「マルちゃん」という愛称を普及させたその功績を称え、同じマルちゃんブランドの商品を扱う東洋水産株式会社より表彰された。
2000年位のホームランを量産していた巨人時代に広島戦で、レフトポール際のホームランかファールかという大飛球を打ち、ホームベース上で打球の行方を見る際に小首を傾げ、右手をまるで招き猫の様なポーズをとるお茶目なマルティネスがいた。そのシーンはよく同年の珍プレーで題材となった。
2006年から中日ドラゴンズの外国人スカウトに就任したが、同球団には同じドミニカ共和国出身のドミンゴ・グスマン(登録名ドミンゴ)、ルイス・マルティネス(登録名マルティネス)両投手がいた。
- 読売ジャイアンツ4番打者
- 第67代
-
- 先代:
- 高橋由伸
- 次代:
- ロベルト・ペタジーニ