ドイツ国鉄BR52形蒸気機関車
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1936年、ドイツ帝国政府によって策定された「戦時蒸気機関車計画」にしたがいBR50形を改良した5軸テンダー形式機関車の総称。逼迫した物資輸送を支えるため大型の機関車が必要とされたが従来のBR50形だけでは間に合わないため、BR50形をベースに資材削減、工数削減の為に改良が加えられることになった。試作1号車による試験走行の結果を反映して試作2号車が製作され、これが正式採用となりBR(Baureiche)52形蒸気機関車と命名された。開発計画名に鑑み「戦時蒸気機関車」とも呼ばれる。 生産はドイツおよびドイツ領オーストリアの複数の企業で随時改良を加えながら継続的に行われ、機関車、テンダーとも多数のバージョンが存在する。軍用となったものには迷彩塗装や装甲防御、偽装をほどこしたもの、生産型をさらに簡素化したモデルなどがありバリエーションは多彩。運行はヨーロッパ全土および東部戦線全域におよび、一般貨客輸送のほか軍需物資および兵員の輸送に携わった。「東方植民地総合計画」にもとづく強制収容所および絶滅収容所へのユダヤ人の輸送にかかわるという陰の側面ももつ。 BR52形は総力戦下の消耗機材的な性格のもので、耐用年数は5年程度が想定されていた。しかしもともとオーバーパワー設計で完成度の高いBR50形を徹底的にリファインしたものであり、設計時の予測をはるかに超える耐久力を発揮した。その性能は当時の貨物機関車としてはきわめて優秀だったため、生産は第二次世界大戦終結後の1950年までつづけられ戦後の復興にも多いに貢献した。また第三帝国の支配を受けたソ連およびポーランドでは戦後、領内に遺されたBR52形をコピーした車輛が大量に生産された。生産数はドイツ国内だけで7,000輌程度、コピーもふくめると10,000輛近くにのぼると見られ群を抜く世界最高数となっている。電化とディーゼル化が本格化した1960〜70年代にかけて他の機種と同様、各地のBR52も退役していった。車輛の多くは廃棄されたものの、相当数が世界各地に売却または寄贈されている。日本にも寄贈があり、1980年代まで河口湖近辺の公園に展示されていた。現存はドイツを中心にかつての第三帝国領内、および旧ソ連、ポーランドなどに合計数百輛にのぼり動態保存も少なくない。稼働車輛の多くは改造や改修をほどこされているがドイツ国鉄保有車輛のなかには製造当時の状態に復元された資料性の高いものもある。一部は営業運転に就いている。
車輪配列は2-10-0(デカポッド DECAPOD)
近年、各社から相次いで模型が販売されている。
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