トマス・クランマー
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トマス・クランマー(Thomas Cranmer, 1489年7月2日 - 1556年3月21日)はカンタベリー大司教でイギリスの宗教改革者。
アスラクトンに生まれ、ケンブリッジ大学に学ぶ。ヘンリー8世の好遇を受け、1530年ローマからドイツに遊学しプロテスタントの思潮に接す。帰国後1533年にカンタベリー大司教となり、ヘンリー8世と王妃キャサリン・オブ・アラゴンの結婚を無効と断じて王の再婚を確認。以後エドワード6世の治世にわたって教会改革の中心人物として国教確立につとめ、式文を制定し、英訳聖書いわゆる「クランマー聖書」の使用を広め、聖職者の結婚を許し、ミサを廃した。
彼の行った改革は王権に妥協的で、その行為には無定見な点が多かったが、ヘンリー8世の娘にして旧教徒のメアリー1世の即位に際しては敢然とこれに反対し、一時は妥協しようとした。しかし、メアリはその母キャサリン・オブ・アラゴンが離婚させられたときに、自身もクランマーに「私生児」と宣告されていたから、即位後まで彼を生かしておくことはできなかったのだ。ついに反逆と異端との罪名を得て、1556年焚刑に処せられた。これによって、イングランドにおける宗教界を代表するカンタベリー大司教の座は、カトリックの枢機卿であったレジナルド・ポールに受け継がれることとなる。
クランマーの著作には、『一般祈祷と聖式の施行』やリドリとの共著『四十二箇信条』等があり、後者は後にエリザベス1世の治世1563年に定められた『三十九信仰箇条』の土台となり、現在のイギリス国教会の教義、基本信条の基となっている。
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