デメテル
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デメテル(デーメーテール、Δημήτηρ, Demeter)は、ギリシア神話に登場する女神である。豊穣神であり、穀物の栽培を人間に教えた神とされる。オリュンポス十二神の一柱。「掟をもたらす者」という意味の「デメテル・テスモポリス」という添名がある。
クロノスとレアの娘で、ゼウスの姉にあたる。ゼウスとの間に娘コレー(後の冥府王妃ペルセポネ)をもうけたが、その経緯はゼウスがデメテルに無理やり迫った挙句、無理やり子供を作らされた為、ゼウスにあまり良い印象を持っていなかった(ただし子供であるペルセポネには愛情を注いでいた)。さらに兄弟の海神ポセイドンからも無理強いされ、秘儀の女神デスポイアと1頭の名馬アレイオン(アリオン)を生んだ。最も有名な恋人のイアシオンはゼウスの嫉妬によって稲妻に撃たれた。
ある日、愛娘ペルセポネが突如が行方をくらます。何か悪いことに巻き込まれたのではないかと考えたデメテルは、犯罪に詳しい神と言われるヘカテに問い掛ける。ヘカテは『ペルセポネはハデスに冥界に連れ去られた』と答え、ハデスがペルセポネを誘拐した事を知る。しかし、心優しいハデスがそんな事するはずが無いと考えたデメテルは、地上の事は何でも知っているというヘリオスに聞きに行った。そしてヘリオスから『ゼウスが、ペルセポネを后に迎えたいと言ったハデスを唆し、拉致させた』と聞いたデメテルは、ゼウスがこの誘拐に加担した(ハデス、ペルセポネの項を参照)ことを知り激怒。天界を捨て、老女に変身してアッティカのエレウシスに下った。この放浪の間のデメテルの行動についての伝説が各所に残されている。
デメテルが地を放浪する間、大地は荒廃した。困ったゼウスは虹の女神イリスを使わしデメテルを説得するも首を縦には振らず『ペルセポネを帰して下さい。なら神としての責務を果たしましょう』と答えた。このためゼウスはハデスに命じてペルセポネを帰させた。ペルセポネが帰ってきた瞬間、デメテルの喜びが大地に実りを取り戻した。これは穀物が地下に播かれ、再び芽吹いて現れることを指したものだとされる。ペルセポネが無事帰還したので、娘は冥府の食べ物を口にしていないと考え、安心したデメテルであったが、ペルセポネがザクロの実を食べてしまった事を告げる。『冥府の食べ物を食べた者は冥府に属する』という神々の取り決めがあったため、ペルセポネを取り上げられる事を恐れたデメテルは『ザクロは無理やり食べさせられたのでしょう?』とペルセポネに問う。しかし、ペルセポネは『自らの意思で食べた』と答えた。結局ペルセポネの主張が認められ、彼女は冥府で暮らす事になる。しかし、デメテルのことも考慮され、1年(12ヶ月)を食べてしまったザクロの実(4粒又は6粒)で割り、1/3(又は1/2)を冥府で残りをデメテルの下で暮らす事が決められる。そしてデメテルはペルセポネがハデスの元で暮らしてる間は実りを齎すのをやめ、娘が里帰りした時に再び実りを齎すようになった。
デメテルの祭儀の中心はアッティカのエレウシスにあり、その秘儀は有名である。他に「二柱の女神」の名でギリシア各地でペルセポネと共に祀られた。またアテナイにはテスモポリア祭というデメテルのための祭が、豊穣を祈るために、秋(ピュアネプシオン月11日から13日)に女だけで行われた。アリストパネスの『女だけの祭』はこのテスモポリア祭を題材とする。
ところでオウィディウスやアポロドロスの主張によると、ペルセポネがザクロを食べたことが明らかになったのは冥府の庭園の庭師アスカラポスの告げ口が原因であるという。これをうらんだデメテルは冥府の入り口付近でアスカラポスの上に巨岩を置いたという。彼はヘラクレスによって助けられたが、デメテルは彼をフクロウに変えた。
アルカディアに伝わる別の神話では、デメテルは娘を捜して放浪しているときポセイドンに迫られた。デメテルは彼を避けて牝馬の姿となり、オンコス王の馬群の中にまぎれ込んだ。しかしポセイドンは彼女を発見し、自分も牡馬の姿となって交合した。この結果デメテルは一人の娘と名馬アレイオンを生んだ。娘の名はデスポイナと呼ばれるが、これは単に「女主人」の意に過ぎず、実際の名は密儀の参加者以外には明らかにされていない。このときのポセイドンに対するデメテルの怒りはすさまじく、怒りの女神エリニュスと呼ばれたほどであり、風光明媚で名高いラドン川の流れで沐浴するまで彼女の怒りは続いた。アルカディアのピガリアにはデメテルとポセイドンの婚姻が伝わる洞窟があり、そこには黒衣をまとい、馬の頭を持つデメテル像があったと伝えられている。
比較神話学的には、地母神として東方由来の神とされる。