ティキヌスの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ティキヌスの戦い | |||
---|---|---|---|
第二次ポエニ戦争要図 |
|||
戦争: 第二次ポエニ戦争 | |||
年月日: 紀元前218年11月 | |||
場所: ティキヌス川付近 | |||
結果: カルタゴの勝利 | |||
交戦勢力 | |||
カルタゴ | ローマ | ||
指揮官 | |||
ハンニバル | プブリウス・コルネリウス・スキピオ | ||
戦力 | |||
騎兵 約6,000 | 騎兵,軽装歩兵 約4,000 | ||
損害 | |||
不明 | 不明 | ||
|
ティキヌスの戦い(Battle of Ticinus)は、紀元前218年11月、イタリア半島北部のティキヌス川(現ティチーノ川)付近で行われた、第二次ポエニ戦争における最初の重要な戦い。ハンニバル率いるカルタゴ軍とプブリウス・コルネリウス・スキピオ率いるローマ軍が交戦し、カルタゴ軍が勝利した。
目次 |
[編集] 背景
紀元前219年、カルタゴの将軍ハンニバルのサグントゥム攻撃をきっかけに第二次ポエニ戦争が勃発した。紀元前218年5月、ハンニバルはイタリア本土へ侵攻するために北上を開始。ローマの元老院は執政官プブリウス・コルネリウス・スキピオに2個軍団を与え、ハンニバルの前進を阻止するために海路でマッシリア(現マルセイユ)に派遣した。マッシリアに到着したスキピオは、偵察によってカルタゴ軍のローヌ川渡河を察知し、軍を率いてこれを追った。しかし、ローマ軍がローヌ川に到着した時には、カルタゴ軍は数日前に渡河を完了していた。スキピオは兄のグナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウスに軍を預け、自身は本土でハンニバルを迎え撃つためイタリアへ帰還した。
9月、ハンニバルはアルプス山脈を越えてガリア・キサルピナに到着、現地のガリア人を徴募し、アルプス越えによって生じた損失を補填しようとした。しかし、徴募は予想以上にはかどらず、ハンニバルはローマ軍を撃破して力を誇示しなければ、現地部族を味方に引き入れることはできないと判断した。ローマに帰還したスキピオは、新たに動員した2個軍団を率いて北上、ハンニバルも敵を求めて南下していた。ティキヌス川(現ティチーノ川)付近で両軍は接近し、互いに野営地を築いた。ハンニバルは騎兵を率いて偵察に向かい、一方のスキピオも軽装歩兵と騎兵を率いて偵察に出ていた。偶然会敵した両軍は、そのまま戦闘に突入した。
[編集] 戦闘経過
この戦闘における両軍の戦力の詳細は不明であるが、おそらくカルタゴ軍は騎兵の全力で約6,000名、ローマ軍は騎兵と軽装歩兵(ヴェリテス)を合わせて約4,000名程度であろうと推測される。ハンニバルは両翼に精強なヌミディア騎兵を置き、中央にガリア・ヒスパニア騎兵を置いた。ローマ側は前面に軽装歩兵の戦列を並べ、その後方に騎兵を置いた。
カルタゴ軍の騎兵が突撃すると、ローマ軍軽装歩兵は投げ槍を投擲した。しかし、カルタゴ軍の前進を阻止できず、逆に突入されて歩兵戦列は乱れ、またたくまに壊走した。続いてカルタゴ騎兵とローマ騎兵の交戦が始まった。もとより、ローマ軍は数で劣っており、次第に圧倒されだした。両翼のヌミディア騎兵が早々にローマ騎兵両翼を撃破し、ローマ軍中央は包囲されそうになった。さらにスキピオもカルタゴ騎兵によって負傷させられたため、ローマ軍は野営地まで撤退した。
なお、負傷したスキピオを包囲下から救い出したのは、リグリア人の奴隷という説と、息子の大スキピオという説が存在する。ただし、後者は大スキピオの偉大さを顕彰するための創作ではないかと考えられている。
[編集] 結果
この戦いは偵察部隊同士の遭遇戦であり、互いに大きな損害を出したわけではなかった。しかし、ハンニバルのローマに対する初勝利という点で十分な宣伝効果があった。この戦い以降、現地兵の徴募が円滑に進むようになったのである。さらにローマ軍内のガリア兵2,200名が脱走して、カルタゴ軍に合流した。この結果、カルタゴ軍は約40,000名まで増加した。ただし、この時点では全ての現地部族が味方になったわけではなく、ガリア・キサルピナでもポー川以南の部族は依然としてローマを支持していた。彼らを味方にするため、また、最終的勝利に不可欠なローマ同盟諸都市の離反を誘うためにも、ハンニバルはより大きな勝利を挙げる必要があった。それゆえ、彼は積極的に決戦を求め、ローマ野戦軍の壊滅を狙った。以降のハンニバルの行動は、こうした基本戦略に基づいている。
一方、スキピオは軍をピアチェンツァまで後退させ、その後トレビア川以南まで後退させた。スキピオはカルタゴ軍の戦力を侮れないものと考え、同僚の執政官ティトゥス・センプロニウス・ロングスと合流して、万全の態勢でこれを迎え撃とうとしたのである。両軍はトレビア川を挟んで対峙し、続くトレビアの戦いに望むこととなった。
[編集] 参考書籍
- ベルナール・コンベ=ファルヌー著、石川勝二訳『ポエニ戦争』白水社、文庫クセジュ
- 長谷川博隆『ハンニバル 地中海世界の覇権をかけて』講談社、講談社学術文庫
- 塩野七生『ローマ人の物語4-6 ハンニバル戦記』新潮社、新潮文庫