チャンコ増田
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チャンコ増田(東京都出身。1970年(昭和45年)4月11日~)は元ファミコン通信(現ファミ通)の編集者で自称抱き枕評論家。美少女キャラクターのイラストをプリントした抱き枕を同人誌即売会などで販売して話題を集め、「抱き枕製作」という新しい同人ジャンル成立の礎となった人物。平成14年に有限会社トレジャーハンターを設立して以降、本名の増田学名義で活動する事も多い。
[編集] 来歴
高校卒業後、地元企業、玩具業界紙の記者となる。本業に携わる傍ら、1990年代初頭頃からアニメグッズなどの古物販売の店「江戸主水のお店」を副業として始める。この副業はパソコン通信の売買掲示板を主な取引場所として活用した。この古物販売は時々まとまった利益をあげた。
平成5年に業界紙の記者を辞め、ファミコン通信(以下ファミ通)の編集部に編集者として入社。大食漢であった事から編集部において「チャンコ増田」というあだ名がつけられ、その後本人も「チャンコ増田」をハンドルネーム・ペンネームとして用いるようになる。
ファミ通編集者時代は誌面への露出も多く、ヘアヌード(ただしヘアは陰毛ではなく脇毛)を誌上で公開するなど一種アクの強さを読者に対して印象づけた。このアクの強さを特に演出したのが、同誌に連載されていた漫画、『ファミ通のアレ(仮題)』である。同作品中にはきわどい発言・格好をするチャンコ増田がたびたび登場した。
1996年(平成8年)5月にファミ通編集部を退職、誌上では「業務中に駄菓子を購入しに外出したまま行方不明になった」事を退職理由として公表されていたが、本人の談話によると正式な退職手続きを踏んだ上での離職だったとのことである。
同年10月、「LeafFan」という同人誌即売会において『錦縮緬伽羅倶利娘夜伽枕』(読み:にしきちりめんからくりむすめよとぎのまくら)という等身大抱き枕を「江戸主水のお店」名義で販売した。この抱き枕の表裏にはTo Heartという成人向けゲームに登場するキャラクターであるマルチのイラストが印刷されていた。当時このマルチというキャラクターが男性のおたくの間で絶大な人気を集めていたことや、抱き枕にプリントされた原画を漫画家天王寺きつねが描いていた事もあり会場で大きな話題を集めた。
その後も夏・冬のコミックマーケットを中心に各種同人誌即売会やインターネット・同人ショップなどでアニメやゲームの様々なキャラクターのイラストを印刷した抱き枕を販売し、さらには追随するサークルも現れるようになり、「抱き枕制作」は同人界においてあたらしい創作ジャンルとして認識されるようになった。
なお同人サークルとしての「江戸主水のお店」は1997年(平成9年)に活動を終了し、 2005年(平成17年)までの同人活動は「チャンコとゆかいな仲魔たち」名義で行われるようになる。 2006年(平成18年)から「dakimakura.net」へサークル名を変更。
2002年、マネーの虎に一般参加者として出演し、善悪様々な面で話題を集めた。 出演の理由は「美少女キャラの抱き枕販売を事業化を実現するため」であったが、あまりにも事業が無計画である事や、考えが幼稚な点を社長ら(出資者)に厳しく叱責された。「オタクは素晴らしい」、「オタクイズビューティフル」の名言をのこしたが、2ちゃんねるやニュースサイトなどでは「オタクの印象を悪くした」と評価される。なおこのとき商品サンプルとして持ち込んだ抱き枕の絵柄は同じTo Heartながらマルチではなくその妹分(ロボットとしてはしっかり者の役)のセリオである。マルチほどの人気に至らなかったセリオが(紹介無しながらも)公共電波で放送された貴重な映像となった。
2005年(平成17年)11月、有限会社トレジャーハンターを倒産させた模様。だが本人は「やる気まんまん、2006年は復活の年」とmixiの日記で豪語している。
2006年(平成18年)1月、サークル名を「チャンコとゆかいな仲魔たち」から「dakimakura.net」へ変更。それに伴い代表者も変更となった模様。本人はサークルの一員として活動するとのこと。すでにTo Heart 2や東方Projectを題材にした抱き枕の製作を発表している。