チャタレー事件
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チャタレー事件(ちゃたれーじけん)とは、イギリスの作家D・H・ローレンスの作品『チャタレイ夫人の恋人』を日本語に訳した作家伊藤整と、出版社社長に対して刑法第175条の猥褻物頒布罪が問われた事件。わいせつと表現の自由の関係が問われた。
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[編集] 概要
『チャタレイ夫人の恋人』には露骨な性的描写があったが、出版社社長はそれを知りつつ出版した。伊藤と出版社社長は当該作品にはわいせつな描写があることを知りながら共謀して販売したとして、刑法第175条違反で起訴された。第一審(東京地方裁判所昭和27年1月18日判決)では出版社社長を有罪、伊藤を無罪としたが、第二審(東京高等裁判所昭和27年12月10日判決)では両被告人を有罪としたため、両名が上告。
[編集] 論点
[編集] 最高裁判決
最高裁判所昭和32年3月13日大法廷判決は、以下の「わいせつの三要素」を示しつつ、「公共の福祉」の論を用いて上告を棄却した。
[編集] わいせつの三要素
- 徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、
- 且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し
- 善良な性的道義観念に反するものをいう
(なお、これは最高裁判所昭和26年5月10日第一小法廷判決の提示した要件を踏襲したものである)
[編集] わいせつの判断
わいせつの判断は事実認定の問題ではなく、法解釈の問題である。したがって、「この著作が一般読者に与える興奮、刺戟や読者のいだく羞恥感情の程度といえども、裁判所が判断すべきものである。そして裁判所が右の判断をなす場合の規準は、一般社会において行われている良識すなわち社会通念である。この社会通念は、「個々人の認識の集合又はその平均値でなく、これを超えた集団意識であり、個々人がこれに反する認識をもつことによつて否定するものでない」こと原判決が判示しているごとくである。かような社会通念が如何なるものであるかの判断は、現制度の下においては裁判官に委ねられているのである。」
[編集] 公共の福祉
「性的秩序を守り、最少限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がないのであるから、本件訳書を猥褻文書と認めその出版を公共の福祉に違反するものとなした原判決は正当である。」
[編集] 事件の意義
わいせつの意義が示されたことにより、後の裁判に影響を与えた。また、裁判所がわいせつの判断をなしうるとしたことは、同種の裁判の先例となった。
[編集] 公共の福祉論について
公共の福祉論の援用が安易であることには批判が強い。公共の福祉は人権の合理的な制約理由として働くが、わいせつの規制を公共の福祉と捉える見方には懐疑論も強い。
[編集] その他
- 出版された本のタイトルは『チャタレイ夫人の恋人』だが、判決文では「チャタレー夫人の恋人」となっている。憲法学界における表記も「チャタレー事件」「チャタレイ事件」の2通りがある。
- この裁判の結果、『チャタレイ夫人の恋人』は問題とされた部分に伏字を用いて1964年に出版された。
- 1996年、伊藤整の息子・伊藤礼が削除された部分を補った完訳本を出版しており、2006年現在は訳文そのままで読む事が可能である。
[編集] 判例評釈
- 阪本昌成「わいせつ文書の頒布禁止と表現の自由─チャタレイ事件」芦部信喜・高橋和之・長谷部恭男編『憲法判例百選Ⅰ 第4版』(有斐閣、2000年)
- 阪口正二郎「文学とわいせつ(1)─チャタレー事件」堀部政男・長谷部恭男編『メディア判例百選』(有斐閣、2005年)
[編集] 関連事件
- 「悪徳の栄え」事件
- 「四畳半襖の下張」事件