ダルドロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クラシック音楽 |
---|
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ |
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 |
ルネサンス - バロック |
古典派 - ロマン派 |
近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 |
木管楽器 - 金管楽器 |
打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 |
指揮者 - 演奏家 |
オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 |
宗教音楽 |
メタ |
ポータル - プロジェクト |
カテゴリ |
ダルドロあるいはギィ・ダルドロ(ー)(Guy d'Hardelot, 1858年? - 1936年1月7日)は、フランス出身のイギリスの作曲家、ヘレン・ローズ(Helen Rhodes、旧姓ガイGuy)の筆名。声楽教師やピアニストとして活躍するかたわら、数々の通俗歌曲によって成功を収めた。
実名はヘレン・ギィ(Helen Guy)。イギリス人の父親とフランス人の母親のもとに、ブローニュ近郊のシャトー=ダルドロに生まれる。この古城は、彼女の筆名の由来であり、かつてはヘンリー8世とアン・ブーリンの居城であった。
8歳の時パリに上京して、パリ音楽院の教師ルノー・モーリに師事し、その音楽的能力によってシャルル・グノーやヴィクトール・モーレルの注目を浴びる。ロンドンに渡ってクラレンス・ルーカスに入門。カルヴェ夫人と親交を結ぶ。後にカルヴェ夫人は、ダルドロの歌曲を世に知らしめることとなる。
ダルドロは生涯のほとんどをロンドンの自宅で、声楽と発声の教師として活動し、多くの門人を成功に導いた。1896年にはカルヴェ夫人とアメリカ合衆国で演奏活動を行い、自作の歌曲《なぜならば(ビコーズ)》によって成功を収め、エンリコ・カルーソーやリヒャルト・タウバー、メルバのレパートリーに彩りを添えた。だがそれまでにも、フランス語のロマンス《君なくて Sans Toi》が好意的に迎えられている。その他の特筆すべき歌曲に、"I Know a Lovely Garden", "I Think", "I Hid My Love", "Dawn", "A Bunch of Violets" など。
ダルドロは、フランス的な繊細さとイギリス的な堅実さを結びつけ、歌曲作家として際立った成功を収めることができた。20世紀初頭にダルドロほど人気のあった女性作曲家は数少なく、しかも彼女は実力で成功をつかんだのである。多くの友人の助力があったとはいえ、彼女の作品にすぐれた美点があると理解されるのに、さほど時間はかからなかった。
没後にその名声が忘れられようとしたものの、1947年の末にペリー・コモが《ビコーズ》を録音し、翌春に大ヒットしたことによって、その後もたびたび録音される曲になった。《ビコーズ》はこれまでに、以下のミュージシャンにカバーされている。
- マリオ・ランツァ
- ホセ・カレーラス
- プラシド・ドミンゴ
- レスリー・ギャレット
- マヘリア・ジャクソン
- サラ・ヴォーン
- ビリー・ヴォーン
(より詳しくはen:Because (Perry Como song)を参照のこと。)