タガンログ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タガンログ(Таганрог; Taganrog)ロシア連邦ロストフ州の都市。黒海の北部、アゾフ海のタガンログ湾に面する。北緯47度13分、東経38度55分。人口は279,500人(2005年)。ロストフ・ナ・ドヌから西に約70km。
アントン・チェーホフの生地としても有名。チェーホフの生家が残されている。
ロシア南部の重要な産業の中心である。イロヴァイスクとロストフ・ナ・ドヌを結ぶ鉄道が通る。タガンログの港では金属、石炭、穀物、石油製品などが扱われている。自動車製造も盛ん。そのほか、金属加工、化学工業、皮革加工、食品加工などの工場がある。
高等教育機関に、タガンログ無線工学大学、タガンログ国立教育大学がある。
目次 |
[編集] 歴史
1698年にピョートル大帝によって開かれ、ロシア艦隊の最初の基地がつくられた。その時代、アゾフ海はオスマン帝国との角逐の場であった。1710年には再びオスマン帝国軍がロシア軍を包囲したため、1711年、ピョートル大帝はタガンログを破壊し、放棄した。以後の50年間、町は廃墟となった。
1769年にロシア軍がタガンログを取り戻し、1774年のキュチュク・カイナルジ条約によって正式にオスマン帝国より割譲された。都市はエカテリーナ2世によって復興され、その際に多くのギリシア人が住み着いた。そのなかには作曲家アキレス・アルフェラキらがいた。
クリミア戦争に際し、1855年5月21日に英仏軍の艦隊がタガンログ港を攻撃した。英仏軍は町の明け渡しを迫ったが、市長がそれを拒んだ。そのため英仏軍は市街を破壊して部隊を上陸させたが、ドン・コサック軍が撃退する。その後、幾度も英仏軍は町の征服を試みたが成功しなかった。
19世紀には交易の中心地となり、その時代のイタリア人やギリシア人の商人の豪奢な邸宅が今も残っている。
第2次世界大戦では、1941年から2年間にわたってまでドイツ軍に占領され、町は大きく破壊された。1943年8月30日に解放される。
[編集] タガンログ生まれの人々
- コンスタンチン・サヴィツキー - 画家・教育家
- アントン・チェーホフ - 小説家・劇作家
- アレクサンドル・コイレ - 哲学者
- ボリス・ポドリスキー - 物理学者
[編集] 姉妹都市
- バーデンワイラー(ドイツ)
- リューデンシャイド(ドイツ)
[編集] リンク
- タガンログ市公式サイト(ロシア語)
- タガンログ市公式サイト(英語)