ジョン・ケージ
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ジョン・ミルトン・ケージ(John Milton Cage、1912年9月5日 - 1992年8月12日)はアメリカ合衆国の作曲家。
目次 |
[編集] 概説
代表曲に、音を一切発しない「4分33秒」や何をしてもよい「0分00秒」、後述のプリペアド・ピアノを用いた「プリペアド・ピアノの為のソナタとインターリュード」(1946年 - 1948年) などがある。現代音楽のみならずフルクサスやハプニングなどの美術運動やパフォーマンス・アートなど、20世紀後半の芸術家や芸術思想に彼が与えた影響は計り知れない。
4'33"はジョン・ケージ自身のモットーである、”偶然性の音楽”に基づいて作られた曲である。 この曲には賛否両論が出ており、滑稽な音楽と見る者もいれば、新感覚の現代音楽だと捉える者もいる。 ”自分自身が発する鼓動の音、ホール場外のクラクションの音”などの、騒音(ノイズ)を偶然性の音楽と捉え作られた曲といえよう。
カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。1930年にパリで建築家エルノ・ゴールドフィンガーのもとで建築を学び、1934年から1937年まで南カリフォルニア大学でシェーンベルクに師事する。1942年にマックス・エルンストの招きでニューヨークに出て画家たちと親交を持ち、1944年にマース・カンニングハムとの最初のジョイント・リサイタルを行なう。1948年にはノースカロライナ州のブラック・マウンテン・カレッジで教鞭をとり、同じく教師であったバックミンスター・フラーや生徒だったロバート・ラウシェンバーグと影響を与え合った。 1989年に京都賞受賞。
プリペアド・ピアノを考案してガムラン音楽に非常に近い音色やリズムの多彩な音楽を作り上げる。シェーンベルクに学ぶが、バックミンスター・フラーの影響で、東洋思想の影響も受け、伝統的音楽の価値観とは異なり中国の易や鈴木大拙の禅にヒントにチャンス・オペレーションにより作品を決める偶然性の音楽を生み出した。20世紀最大の前衛音楽家と見る人もいる。アイディアのデパートとして有名でシェーンベルク は当時彼を「天才的な発明家」と称していた。
ケージに対して「現代音楽における最大の作曲家」と絶賛する者もいれば、「ただの詐欺師」と言う者さえ母国のアメリカですらいた。現在では、正式のコンサートで普通に演奏される機会やCDプロダクションが増えてきている。
[編集] 作風と主要作品
[編集] 第一期
[編集] 第二期
[編集] 第三期
[編集] 第四期
[編集] エピソード
- また、彼は相当なキノコの研究家であり、彼がキノコを好む理由の一つには「辞書でmusicの一つ前がmushroomだったから」というものがあると言われている。
- 彼の生活は猛烈に貧しく、50歳過ぎでも幼稚園児の送り迎えのアルバイトをしていたと言われる。が、50歳を過ぎた頃にはケージは既に著名な存在であり、ケージ自身も自分のネームバリューをわかっていてどのようなドサ仕事でもやりたがる気質ゆえであった。テレビのクイズ番組にまで出演し、その回のグランプリは彼が得た。なお、その回のクイズの内容は「キノコ全般」であった。
- 彼はアメリカの当時の作曲家にありがちなスノビズムを猛烈に憎んでおり、どこへ行くにもボロボロの普段着で出かけ、普通の電話帳にも実名を載せたために普通のファンの電話もマネージャーを介さず全て自分で取った。このことが仇となり、晩年にはただの老人と誤認されて強盗に襲われた経験を持つ。
- 彼はいつもニコニコと笑っており「ケージ・スマイル」(一柳彗の日本語訳は「啓示微笑」)と後年親しまれたが、これは老境の態度であり壮年期の顔はかなり険しい。京都賞受賞時に「絶対に正装はしない!シャツとジーンズで出る」と言い張り、関係者との間でトラブルになった。いつも笑っていても、自分の信念を曲げる人間とは絶対に相容れなかった。このとき、「日本の伝統衣装、たとえば羽織袴なら」というスタッフのアドヴァイスに非常に好意を抱き、羽織袴着用での受賞となった。羽織袴も正装の一つであるのになぜ洋風の正装を嫌がったのかは、アメリカの作曲家協会に所属する階層に対する一面強烈な敵意があったからとされている。訃報(平成4年)は日本でも扱われ「自己主張のない音楽」という枕詞がその実験的な作風につけられている。
[編集] 著作
- 『音楽の零度――ジョン・ケージの世界』(近藤譲編訳/朝日出版社/1980)
- ジョン・ケージ、ダニエル・シャルル『ジョン・ケージ 小鳥たちのために』(青山マミ訳/青土社/1982)
- 『サイレンス』(柿沼敏江訳/水声社/1996)
[編集] 関連項目
カテゴリ: 書きかけの節のある項目 | アメリカ合衆国の作曲家 | 現代音楽の作曲家 | ポストモダン作曲家 | フルクサス | 1912年生 | 1992年没