シドニー (軽巡洋艦・初代)
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シドニー | |
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艦歴 | |
起工 | 1911年2月11日 |
進水 | 1912年8月29日 |
竣工 | 1913年6月26日 |
退役 | 年 |
除籍 | 年 |
要目 | |
艦種 | 軽巡洋艦 |
艦級 | チャタム級軽巡洋艦 |
排水量 | 5,400 t(常備) |
全長 | 139.6 m |
全幅 | 14.9 m |
吃水 | 4.9 m |
乗員 | 475 名 |
機関 | パーソンズ式直結蒸気タービン、出力25,000馬力、4軸 |
速力 | 25.5 ノット |
航続距離 | 16ノットで4,500海里 |
兵装 | 15.2cm(45口径)単装砲8基 4.7cm単装砲4基 53.3cm水中魚雷発射管2門 |
搭載機 | - |
シドニーはオーストラリア海軍のチャタム級軽巡洋艦。
1911年2月11日イギリス、ロンドン・アンド・グラスゴー社で起工。1912年8月29日進水。1913年6月26日竣工。
第一次世界大戦開戦後、1914年11月1日シドニーは軽巡洋艦メルボルン、イギリスの装甲巡洋艦マイノーター、日本の巡洋戦艦「伊吹」とANZAC遠征軍を乗せた船団を護衛してアルバニーを出港した。11月6日マイノーターは船団から離れ喜望峰方面へ向かった。11月8日6時30分ココス諸島のディレクション島から怪しい船が接近しているとの緊急電が発せられた。この船とはインド洋で通商破壊を行っていたドイツの軽巡洋艦エムデンであり、ディレクション島の海底電線の中継所の破壊を目的としていた。この時船団はココス諸島の北55海里にいた。シドニーは急行を命じられココス諸島へ向かった。
9時15分にエムデンはシドニーを発見、40分9400メートルでエムデンがシドニーに対し砲撃を開始、シドニーも反撃した。最初はエムデンのほうが優勢であったが10時以降はシドニー優勢となり、エムデンは11時15分ノースキーリング島に座礁した。この戦闘でのシドニーの死者は3名、負傷者は12名であった。
1915年以降はヨーロッパ方面で活動し1916年にはグランド・フリート所属となった。
1919年オーストラリアに戻り1928年売却、1929年1月10日解体。