サイモン&ガーファンクル
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サイモン&ガーファンクル(Simon and Garfunkel、サイモンとガーファンクル)は、1960年代に活躍した、二人のユダヤ系アメリカ人ポール・サイモン(Paul Simon)とアート・ガーファンクル(Art Garfunkel)によるポピュラー音楽ユニット(1964年-1970年)。1990年にロックの殿堂入りを果たしている。
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[編集] 略歴
ニューヨーク市の小学校時代からの親友だった、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルが、1964年に結成(それ以前にも「トム&ジェリー」の名前で活動し、『ヘイ・スクールガール(Hey, Schoolgirl)』を小ヒットさせたことがある。その当時ポールはジェリー・ランディス(Jerry Landis)、アートはトム・グラフ(Tom Graph)と名乗っていた)。アルバム『水曜の朝、午前3時(Wednesday Morning,3A.M.)』でデビューした。
しかし発売初年度の売上が3,000枚と惨憺たるものであったので、ポールはヨーロッパ放浪の旅へ出てしまい、アートもデビュー前に通っていた大学院へと戻ってしまったが、プロデューサーのトム・ウィルソンがアルバム収録曲『サウンド・オブ・サイレンス(The Sound of Silence)』にエレキギターやドラムなどを別テイクで加え(オリジナルはポールのアコースティック・ギターと、二人のボーカルだけだった。そして、この別テイクで演奏していたミュージシャン達は近くのスタジオでボブ・ディランの名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」のレコーディングに参加していた。レコーディングも終わり、帰りがけの所をトム・ウィルソンに呼び止められ演奏する事となった)てシングル発売したところ、これが大ヒット。サイモン&ガーファンクルは一躍人気フォークロック・デュオとなる。
なお、『キャシーの歌(Kathy's Song)』は、ポールがイギリスに長期滞在していた際に交際していたガールフレンドに贈った曲である。キャシーは、ポールが歌っていたパブで券もぎ係りをしていた女性であった。また、『アメリカ(America)』の歌詞に出てくる「Kathy, I'm Lost,I said.Though I knew she was sleeping,」で触れているKathyと同一人物で、二人でアメリカ旅行に出かけた際に書いたとされている。ポールのアルバム『ポールサイモン・ソングブック(Paul Simon Song Book)』に若かりしころのポールとキャシーが写っている。
その後も、ポールの作り出す深い内容の詞・曲とアートの美しい歌声、そして二人の絶妙なハーモニーが受けて『スカボロー・フェア/詠唱(Scarborough Fair/Canticle)』『ミセス・ロビンソン(Mrs.Robinson)』などが大ヒット。1968年に映画『卒業』の音楽を担当したことで、日本をはじめ世界的にも大きな成功を収めた。
だが、1970年発表のアルバム『明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)』の製作中に、ポールとアートの音楽に対する意見の違いが表面化。『明日に架ける橋』は全世界で売上が1000万枚を超える大ヒットとなり、グラミー賞の最優秀レコード賞・最優秀アルバム賞を受賞したものの、このアルバムを最後に二人はソロ活動に入り、サイモン&ガーファンクルは解散した。
しかし、解散後も二人ともお互いを友人だと思うことには変わりが無く、親交は続いた。1975年には『マイ・リトル・タウン(My Little Town)』をS&Gで録音し、それぞれのソロ・アルバムに収録しているほか、1984年にアートが発表した「The Art Garfunkel Album(邦題:天使の夢)」に収録されている「(What A) Wonderful World(同:ワンダフル・ワールド)」では、ジェームス・テイラーと共にギターとボーカルでポールも参加しており、透明感あふれる三人のハーモニーを披露している。
1981年9月19日にはニューヨーク市のセントラル・パークで再結成チャリティコンサートを開いて53万人もの観衆を動員し、世界ツアーを行った(1982年にはS&Gとして初来日し、後楽園球場と大阪球場でコンサートを行っている)。この時、サイモンの作品にガーファンクルが参加する形でアルバム製作が行われたが、作品に対する意見の食い違いから、結局サイモンのソロ・アルバム(『ハーツ・アンド・ボーンズ』)としてリリースされた。このアルバムに収録された曲のいくつかは、ガーファンクルも録音に参加し発売直前まで完成していた。マニアの間ではS&Gとして収録された『ソング・アバウト・ムーン』などがブートレグという形で知られている。その後二人の間は疎遠になっていった(サイモンが2003年にソロとしてロックの殿堂入りした際に、わざわざ「ガーファンクルとは仲直りしたい」とスピーチで述べているほど二人の関係は冷え切っていた)。しかし、音楽を離れてプライベートでは一緒にスイスへスキー旅行へ行くなど、旧来の親交はその間も続いていたと言われている。
近年は1993年、2003年と度々再結成を行い、全米ツアーなどを行っている。1993年12月1日には「Event of a lifetime Tour」の東京公演・福岡公演としてそれぞれ東京ドームと福岡ドームで再来日公演を行なった。この際、南こうせつが前座を務めた。
また、彼らの作品は多くのミュージシャンにカヴァーされ、歌い継がれている。例えば『冬の散歩道(A Hazy Shade of Winter)』は、1987年に映画「レス・ザン・ゼロ」の主題歌としてバングルスがカバーを歌い、大ヒットしている。1993年には同曲のオリジナルを野島伸司がドラマ「人間・失格」で使い、日本でのリバイバルを果たした。
2005年、ガーファンクルは運転中に警官に尋問されマリファナの不法所持の容疑で摘発されたことがある。
[編集] ディスコグラフィー(主なアルバム)
- 『水曜の朝、午前3時(Wednesday Morning,3A.M.)』1964年
- 『サウンド・オブ・サイレンス(The Sound of Silence)』1966年
- 『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム(Parsley,Sage,Rosemary and Thyme)』1966年
- 『ブックエンド(Bookends)』1968年
- 『卒業-オリジナル・サウンドトラック(The Graduate)』1968年
- 『明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)』1970年
- 『セントラル・パーク・コンサート(The Concert in Central Park)』1982年(ライヴ・アルバム)
[編集] サイモン&ガーファンクルに影響を受けた日本人
[編集] 外部リンク
- ソニー・ミュージックによるオフィシャルサイト
- 英語のオフィシャルサイト
- ポール・サイモンのオフィシャルサイト
- アート・ガーファンクルのオフィシャルサイト
- Ladies and Gentlemen! Simon and Garfunkel! ファンのページ(日本語)