ゴードン・ベル
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C・ゴードン・ベル(C. Gordon Bell、1934年8月19日 - )は、著名なコンピュータ技術者でありマネージャ。ディジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC)の初期の従業員としてPDPシリーズのいくつかの機種を設計し、技術部門の副社長としてVAXの開発を統括した。
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[編集] 経歴
ミズーリ州カークスビル生まれ。MITの電気工学科を1956年に卒業し、翌年には修士号を得ている。フルブライト奨学制度でオーストラリアに行った後、MIT Speech Computation Laboratory の Ken Stevens 教授の下で働き Analysis-By-Synthesis プログラムを開発した。DECの創設者ケン・オルセンとハーラン・アンダーソンは1960年にベルを引き抜き、最初にPDP-1の入出力サブシステムを設計した(UARTなど)。その後、PDP-5の開発に従事し、PDP-4とPDP-6の設計を任された。その他のアーキテクチャ上の貢献としては、PDP-5およびPDP-11の Unibus と汎用レジスタアーキテクチャがある。
1966年、ベルはカーネギーメロン大学で情報工学の講師となったが、1972年にはDECに戻って技術部門の副社長となった。そこで彼はDECの最も成功したコンピュータであるVAXの開発責任者として働いた。
ベルは心臓発作をきっかけとして1983年にDECを退社したが、すぐにアンコールコンピュータ社を設立する。同社は共有メモリ型でスヌープキャッシュを使用するマルチプロセッサシステムを開発した。1980年代、彼は社会政策に関わるようになった。米国科学財団の情報工学部門のアシスタントディレクターとなり、NREN(National Research and Education Network; 全米研究教育ネットワーク)をインターネットに育て上げるのに尽力した。また1987年、並列コンピューティング分野の開発を奨励する目的で IEEE ゴードン・ベル賞を設立した。ちなみに最初のゴードン・ベル賞を受賞したのはnCUBE/10を活用したサンディア国立研究所の研究者グループである。
ゴードン・ベルは1986年、アーデントコンピュータ社の設立に関わり、1988年には開発部門の副社長となった(同社が1989年にステラー社と合併するまで)。
1991年から1995年までベルはマイクロソフトの研究部門の立ち上げに関わり、その後もフルタイムで関わり続け、テレプレゼンスなどのアイデアを研究している。MyLifeBitsプロジェクトでは自らの人生を研究対象としている。これはヴァネヴァー・ブッシュの夢想したシステムの実現であり、個人の経験に関わるあらゆる文書、画像、音声を集積し、高速かつ簡易にアクセスできるようにするシステムである。このため、ベルは過去に読んだ/書いた全ての文書、CD、電子メールなどをデジタル化した。現在もこの作業は継続されていて、彼の行うWebブラウジングの履歴、電話などによる会話がある程度自動的に集められている。
ベルはアメリカ科学振興協会(AAAS)、ACM、IEEE のフェローであり、米国工学アカデミー(NAE)のメンバーでもある。受賞歴には、IEEE フォン・ノイマンメダル、コンピュータ歴史博物館フェロー、名誉工学博士号(Worcester Polytechnic Institute)、AEA Inventor Award、IEEE Eminent Member's Award of Eta Kappa Nu などがある。そして1991年のアメリカ国家技術賞をジョージ・ブッシュから授与された。
1979年、ボストンのコンピュータ博物館設立に関わり、1999年にはその後継となるカリフォルニア州マウンテンビューのコンピュータ歴史博物館の設立にも関わった。
[編集] 著作
- Computer Structures: Readings and Examples (アレン・ニューウェルとの共著)(1971年)
- Computer Engineering (C. Mudge, J. McNamara との共著)(1978年)
- Computer Structures: Readings and Examples (Dan Siewiorek, アレン・ニューウェルとの共著)(1982年)
- High Tech Ventures: The Guide for Entrepreneurial Success (J. McNamara との共著)(1991年)
[編集] 発言集
Computer World誌 (1992年10月)「VAX Man」interview より:
- 「Microsoft NT…は、遠大なものになりつつある。UNIXの下にしいてある敷物をつかんで取ろうとしている」
- 「この10年で、99%のハードウェアやソフトウェアが基本的に小売店で売られるようになるだろう」
- 「25年後...コンピュータは電話機のようになるだろう。おそらく常に通信を行うようになるだろう…西暦2000年までにはネットワークのインフラが整備され、支払った分に応じた帯域幅を得て通信できるようになるだろう」
- 「以前『彼の未来予測は間違っていないが、実現時期を間違うことが多い』と言われたことがある」
DECで働いていたころのベルが言っていた格言:
- 「最も信頼のおける部品は、あなたが取り除いた部品である」
[編集] コンピュータのクラス形成に関するベルの法則
1972年、マイクロプロセッサを使ったマイクロコンピュータという新しいクラスが形成された。これに触発されたベルが唱えた法則である。
- すでに確立された市場クラスのコンピュータは価格を変えずに機能や性能を向上させようとする。
- 約10年に一度の割合で、半導体、ストレージ、インターフェイス、ネットワークなどの技術革新によって新たなニーズに対応した新しいコンピュータのクラスが形成される。
- 新しいクラスは従来よりも低価格のクラスとして市場を形成する。
例えば、60年代のメインフレーム、70年代のミニコンピュータ、80年代のワークステーションとパーソナルコンピュータ、90年代のWebブラウザとWebサーバ、2000年代のWebサービス、1995年のパームトップ・コンピューティング、2003年の携帯電話とコンピュータの融合、2004年のMEMSなどの無線センサーネットワークなどがある。1990年代初め、コンピュータ・クラスターが登場してメインフレームもミニコンピュータもワークステーションも置き換えはじめた。ベルは2010年にはホームエリアネットワークや人体エリアネットワークが形成されると予言している。
[編集] 外部リンク
- Gordon Bell homepage at Microsoft
- Smithsonian Oral and Video Histories: Gordon Bell 国立アメリカ歴史博物館によるインタビュー by David K. Allison, Curator, 1995.