コリャーク人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コリャーク人、或はコリヤーク人、コリャク人は、ロシアの極東地域にあるコリャーク自治管区に多くが生活するモンゴロイド系の民族である。ベーリング海沿岸地帯からアナディル川流域南部およびTigilskを南限とするカムチャツカ半島北部につながる地域に居住している。体つきや生活習慣などが極めて類似しているチュクチと同系である。また、カムチャツカ半島のイテリメン人と遠い同系でもある。コリャーク語及びその近縁語アリュートル語は、言語学的にチュクチ語に非常に近く、チュクチ・カムチャツカ語族をなす。
コリャーク人は定住し漁撈生活する人々と定住しないトナカイ遊牧および狩猟生活をする人々とに別けられる。前者は「どうしようもなく貧しい」といわれる。他方、後者のコリャーク人は、愛着を持って、余所者にはどれほどの値を云われても分けあたえはしない巨大なトナカイの群れを所有している。誇り高く、賢くかつ自己を恃み、主を認めない。彼らは頑強にロシアの侵略に抵抗し、また、コサックとの戦闘の中で無鉄砲な勇敢さを証明した。もし人口過多になったときは、彼らは女子供を殺し、家に火をつけ、また決闘をする。家族はおおよそ6-7人の集団で、支配的な主権を有さない首長がいる、構成員がすべて平等である小さな国を形成する。一夫多妻であり、岐阜のもとで働くことで妻を娶る。女子供はよくされ、またコリャーク人の礼節と厚遇は著名である。だいたいの結婚式は略奪婚である。長引く苦しみから救うことは最良の情愛のあかしと確信して、老人と体の弱いものを殺す。殺されるものは自身の死に方を選び、嫩いコリャーク人は、素早くかつ優しい一撃を与える技術を練習する。嬰児殺しは以前はよくみられ、また、双子の片一方は必ず犠牲にされる。火葬をする。ほとんどがシャマニズムを信じ、邪悪な精霊へと東を向く石の上に犠牲者の頭部を置いて生贄をささげる。
2002年の国民人口調査によれば、ロシアには8743人のコリャーク人がいる。
[編集] 参考文献
- See G. Kennan, Tent Life in Siberia (1871); "Über die Koriaken u. ihnen nähe verwandten Tchouktchen," in But. Acad. Sc. St. Petersburg, xii. 99.
- この記述はパブリックドメインの百科事典『ブリタニカ百科事典第11版』("Encyclopædia Britannica" 1911年版)に基づいています。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: ブリタニカ百科事典第11版 | アジアの民族 | ロシアの民族