コクトー・ツインズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コクトー・ツインズ(Cocteau Twins)は、1980年から1997年に活動したイギリス、スコットランドのロックバンド。
目次 |
[編集] 初期
1980年に、ロビン・ガスリー(Robin Guthrie、ギター)とウィル・ヘッジー(Will Heggie、ベース)がバンドを結成し、これに、地元のディスコで出会ったエリザベス・フレイザー(Elizabeth Fraser)がボーカルとして加わった。
バンドは、当時、ジョイ・ディヴィジョン、バースデー・パ-ティー、セックス・ピストルズ、スージ&ザ・バンシーズの影響を受けており、コクトー・ツインズというバンド名は、シンプル・マインズの初期の未発表曲に由来している。
1982年に4ADからりリースされた彼らのデビュー・アルバム "Garlands" は、続くシングル "Lullabies" とともに直ちに成功を収めた。フレイザーの先例のない独特な、時に何を歌っているか判読しがたいボーカル・スタイルは特に注目を集めた。
[編集] 1980年代中期
1983年のセカンド・シングル "Peppermint Pig" 発表後のツアーが終わって、ウィル・ヘッジーがグループを去った。バンドの最初の3作は、ヘッジーのリズミカルなベース・ライン、ガスリーのミニマリスティックなギター、フレイザーのボーカルの3つで成り立っていたが、2枚目のアルバム "Head over Heels" では、後の2つだけに頼らざるを得なくなった。これはコクトー・ツインズの特徴的なサウンドを成長させることになった。 フレイザーの声は幽玄と粗野が入り交じり、ガスリーの強いエフェクトがかかったギターと結びついた。前作とはまったく異なったものになったが、"Head over Heels" はマスコミにも一般にも好評で迎えられた。
1983年に、コクトー・ツインズは4ADのディス・モータル・コイルのプロジェクトに参加し、そこでのガスリーとフレイザーによるティム・バックリーの "Song to the Siren" のカバーは大ヒットした。また、この作業中に彼らはサイモン・レイモンド(Simon Raymonde)に出会い、彼はこの年のうちにベースとしてグループに加わった。サイモンが加わったコクトー・ツインズは、サードアルバム "Treasure"(1984年)、シングル "Aikea-Guinea"(1985年)等の評価の高い名作を続々とリリースした。
レイモンドは、ディス・モータル・コイルのセカンド・アルバムに関わっていたため、1986年のコクトー・ツインズの4作目のアルバム "Victorialand" のレコーディングには参加していない。彼は、同年にハロルド・バッドと共作した "The Moon and The Melodies" では、グループに戻っている。
コクトー・ツインズは、世界的には4ADにとどまっていたが、1988年にアメリカでの配給に関してついにメジャーレーベルのキャピトル・レコードと契約を結んだ。また、この年の10月には5枚目のアルバム "Blue Bell Knoll" をリリースした。
[編集] 1990年代初期
コクトー・ツインズが、"Head over Heels" で追求し始めたスタイルは、1990年後半にリリースされた6枚目のアルバム "Heaven or Las Vegas" で頂点に達した。このアルバムは商業的に最も成功したが、4ADの創始者アイヴォ・ワッツ=ラッセルとの諍いやガスリーのアルコールを含む薬物中毒等が原因で、バンドは4ADと袂を分かつこととなる。コクトー・ツインズは、英国その他ではマーキュリー・レコードのフォンタナ・レーベルと契約を結び、アメリカではキャピトルとの関係を維持した。
1993年にリリースされた7枚目のアルバム "Four-Calendar Café" は、 "Blue Bell Knoll" や "Heaven or Las Vegas" での処理を重ねた複雑で重層的なサウンドから離れ、水晶のように透明でミニマルなアレンジが施された。これは、歌詞がはっきりと聞き取れることとも相まって、賛否両論を引き起こした。
[編集] 1990年代中期と解散
1995年に発売された2枚のシングルのうち、 "Twinlights" はピアノとアコースティック・ギターとボーカルだけのアコースティックな曲であり、一方、"Otherness" はシーフィール(Seefeel)のマーク・クリフォード(Mark Clifford)との共作で、コクトー・ツインズの曲のエレクトロニックなリミックスであったが、ともにバンドのこれまでのシングルとはまったく異なったもので、実験的と評された。
1996年には、これらのシングルの曲を一部含む8枚目のアルバム "Milk and Kisses" がリリースされ、そこから "Tishbite" と "Violaine" の2枚のシングルがカットされた(いずれもカップリング曲が異なる2バージョンがある。)。バンドは精力的にツアーを行い、そこで披露され後にレコーディングされた "Touch Upon Touch" がコクトー・ツインズの最後の曲となった。
1997年の9枚目で最後となるはずだったアルバムのレコーディング中に、バンドは突如として解散した。部分的に録音され完成することができる曲もあったが、バンドはどんな形であれ完成されたりリリースされることはないだろうと述べている。
2005年1月31日に、コクトー・ツインズは、4月30日のCoachella Valley Music and Arts Festivalで再結成し演奏すると発表したが、これはフレイザーの個人的理由により3月16日にキャンセルされた。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] アルバム
- Garlands (1982年) - デビューアルバム
- Head over Heels (1983年)
- Treasure (1984年)
- Victorialand (1986年)
- The Moon and The Melodies (1986年) - ハロルド・バッドとの共作
- Blue Bell Knoll (1988年)
- Heaven or Las Vegas (1990年)
- Four-Calendar Café (1993年)
- Milk and Kisses (1996年)
編集盤
- The Pink Opaque (1985年) - ベスト盤
- Cocteau Twins (1991年) - シングル10枚とボーナス盤のボックスセット
- Cocteau Twins BBC Sessions (2000年) - 1983年から1996年までのBBCの番組でのライブを集めたもの、2枚組
- Stars and Topsoil (2000年) - メンバーにより自選され、ガスリーによってデジタル・リマスターされたベスト盤
- Lullabies to Violaine: Singles and Extended Plays 1982-1996 (2005年) - アルバム未収録曲全曲を収めた4枚組ボックスセット、10,000枚限定
- Lullabies to Violaine, Volume 1: Singles and Extended Plays 1982-1990 (2006年) - 上記ボックスセットの前半2枚
- Lullabies to Violaine, Volume 2: Singles and Extended Plays 1993-1996 (2006年) - 上記ボックスセットの後半2枚
[編集] シングル
- Lullabies (1982年)
- Peppermint Pig (1983年)
- Sunburst and Snowblind (1983年)
- Pearly-Dewdrops' Drops (1984年)
- The Spangle Maker (1984年)
- Aikea-Guinea (1985年)
- Tiny Dynamine (1985年)
- Echoes in a Shallow Bay (1985年)
- Love's Easy Tears (1986年)
- Carolyn's Fingers (1988年)
- Iceblink Luck (1990年)
- Heaven Or Las Vegas (1990年)
- Evangeline (1993年)
- Snow (1993年)
- Bluebeard (1994年)
- Twinlights (1995年)
- Otherness (1995年)
- Tishbite (1996年)
- Violaine (1996年)
[編集] 外部リンク
- cocteau twins | official web site - 公式サイト(英語)
- Cocteau Twins :: Imperial Records International
- The Cocteau Cafe - 非公式サイト(英語)
- ElizabethFraser.com - 非公式サイト(英語)
- cocteautwinsforums.com - 公式フォーラム(英語)
- Cocteau Twins - Eyesore Databaseのコクトー・ツインズ関連部分
- «An appreciation of the Cocteau Twins» - 非公式サイト(英語)