グラウ
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ロドリーゴ・グラウ(グラル、Rodrigo Gral、1977年2月21日 - )は、Jリーグディヴィジョン1(J1)・大宮アルディージャに所属していたプロサッカー選手。ポジションはFW。
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[編集] プレースタイル
テクニックや身体能力などに突出した部分はないが、高い運動量と正確性の高いシュートを武器に抜け目なく得点を挙げるなど、ゴールへの嗅覚が非常に鋭いストライカー。
得点時にはユニフォームをたくし上げメッセージ入りTシャツを披露する(最近はこれが非紳士的行為とされるため控えている)、頭から被り物をするなどのパフォーマンスを好んで行う。ブラジル時代はクラブマスコットのぬいぐるみを被り、日本でクラブのフラッグを出したり子供の日に鯉のぼりを出してみせたこともある(ストッキングに忍ばせている)。
[編集] 経歴
ブラジル南部・サンタカタリナ州出身。地元の名門グレミオに入団し、若手のFWとして期待されレンタルなどで様々のクラブで経験を積む。
2002年にジュビロ磐田に入団。ジュビロ磐田入団直前に年齢詐称が発覚(生年を1979年と称している書類があり、1999年のワールドユースにも出場していた)、一時は来日が危ぶまれた。
初出場の札幌戦で得点を挙げるものの日本サッカーに慣れるには時間がかかり、一時はクラブ関係者からも契約続行を疑問視される事態にも陥るが、翌2003年には前線での豊富な運動量と優れた決定力を武器とするスタイルを確立、21得点を挙げて戦力低下がうわさされた磐田の上位進出の原動力として活躍した。
しかし2004年以降は脚の怪我などが元で運動量が低下、次第に出場機会を失い2005年夏に横浜F・マリノスへ完全移籍。翌2006年には横浜が所有権を持ったまま大宮アルディージャにレンタル移籍した。大宮ではFWの主軸の一人として活躍するものの、7月31日に期限を延長せずに退団した。
[編集] エピソード
- ロナウジーニョの10代の頃よりの親友としても有名。ジュビロ磐田時代はブラジル代表として静岡でキャンプを張っていた彼を激励しに訪れ、バルセロナと親善試合を行った際は試合後スパイクを交換し旧交を温めた。
- 磐田入団直前に年齢詐称が発覚したため、一時は来日が危ぶまれた。(ブラジルでは珍しい話ではないが、生年を1979年と称している書類があり、1999年のワールドユースにも選ばれていた)
- ルイス・フェリペ・スコラーリによれば、彼が1997年に磐田の監督に就任した際、グレミオからはアジウソン以外に連れてくる選手として、実は彼が挙がっていたという。
- 弟のラファエル・グラウもサッカー選手で、ジュビロ磐田、サガン鳥栖の入団テストを受けたが契約には至らなかった。
- 長髪を束ねるため、チームカラーのヘアバンドをしてプレイすることが多い。
- 彼の趣向を凝らしたパフォーマンスには喜ぶファンも多い反面、「ふざけすぎ」との批判も一部にはあった。
[編集] 略歴
[編集] 所属チーム
- 1995年-1997年 - グレミオ
- 1998年 - ジュヴェントゥーデ
- 2000年-2001年 - フラメンゴ
- 2001年 - スポルチ・レシフェ
- 2001年 - グレミオ
- 2002年-2005年 - ジュビロ磐田
- 2005年 - 横浜F・マリノス
- 2006年 - 大宮アルディージャ
[編集] 背番号
- 8(2002年-2005年)
- 19(2005年-2006年)
- 33(2006年)
[編集] 戦歴
カテゴリ: ブラジルのサッカー選手 | グレミオの選手 | フラメンゴの選手 | ジュビロ磐田の選手 | 横浜F・マリノスの選手 | 大宮アルディージャの選手 | 1977年生