オットー1世 (ヴァイマール=オーラミュンデ伯)
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オットー1世(Otto I.、1067年没)は、ヴァイマール=オーラミュンデ伯爵で、1062年から1067年にマイセン辺境伯をも務めた。(マイセン辺境伯としては単に「オットー」と呼ぶ)
オットー1世は、ヴァイマール伯ヴィルヘルム3世(1039年没)と、ラウジッツ辺境伯ティートマール2世の娘オーダ・フォン・ラウジッツとの息子で、ヴィルヘルム4世の弟。
彼は、はじめレギナール・フォン・レーヴェの娘と推測されるアデーラ・フォン・ブラバント(1083年没)と結婚した。レギナールはレーヴェ伯ランベルト1世の息子で、母方の血筋からはフランドル伯ボルドウィン4世の孫にあたる。2度目の結婚は、エレオノーラ・フォン・ノルマンディとであったと推測される。
[編集] 子供たち
子供は女子ばかりであった。名と没年、嫁ぎ先を列記する。
[編集] 外部リンク
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