オスカル・ネドバル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クラシック音楽 |
---|
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ |
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 |
ルネサンス - バロック |
古典派 - ロマン派 |
近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 |
木管楽器 - 金管楽器 |
打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 |
指揮者 - 演奏家 |
オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 |
宗教音楽 |
メタ |
ポータル - プロジェクト |
カテゴリ |
オスカル・ネドバル(Oskar Nedbal, 1874年3月26日 – 1930年12月24日)はチェコスロバキアの作曲家・指揮者。
目次 |
[編集] 生涯
南部ボヘミアの古都ターボルにおいて、ドイツ語を母語とするチェコ人の家庭に生れる。1891年より1906年まで、ボヘミア弦楽四重奏団の創設メンバーとしてヴィオラを担当。1896年から1906年まで10年間にわたってチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務める。1906年にウィーンに行き、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団を創立、1919年まで同楽団の指揮者を務める。作曲家としての活躍もこの頃にさかのぼる。
チェコスロバキア建国後に帰国し、主にスロヴァキアの主都ブラティスラヴァで活躍した。1930年のクリスマス・イヴにザグレブにおいて自殺。
作曲をドヴォルザークに師事し、その熱烈な崇拝者ではあったものの、民族主義よりはウィーン楽派の伝統に忠実であった。たとえば器楽曲のばあい、チェロとピアノのための《ロマンティックな組曲》作品18において、《きらきら星変奏曲》の主題を巧みに挿入し、モーツァルトに敬意を払っている。バレエ音楽などの舞台音楽の作曲にも活躍し、なかでも1913年のオペレッタ《ポーランド気質 Polenblut 》は、1926年までウィーンにおいて3000回もの上演が行われた。このほかに室内楽曲や管弦楽曲、声楽曲がある。
[編集] 主要作品一覧
[編集] 器楽曲
- ヴァイオリン・ソナタ ロ短調 作品9
- ワルツ「森の鐘」「ミス・バタフライ」「ナイチンゲール」
- スケルツォ・カプリチオーソ
- チェロと管弦楽のためのロマンス
- ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス
- ヴァイオリンと管弦楽のためのセレナード
- かわいい組曲
- 弦楽合奏のためのチェコ風ポルカ
[編集] バレエ
- 怠け者ホンザの物語 Pohádka o Honzovi (1902)
- お婆さんのお伽話(おとぎ話からおとぎ話へ) Z pohádky do pohádky (1908)
- ヒヤシンス姫 Princezná Hyacinta (1911)
- Čertova babička (1912)
[編集] オペレッタ
- 淑女バルバラ Die keusche Barbara, Erstlingswerk 1910
- ぶどう園の花嫁花婿 Die Winzerbraut, 1916
- 麗しのサスキア Die schöne Saskia, 1917
- Eriwan, 1918
- 農夫ヤコブ Sedlák Jakub, 1922 (Oper in Brünn)
- Donna Gloria, 1926
- マドモワゼル・ナポレオン Mlle Napoleon, 1928