エレナ・ドキッチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エレナ・ドキッチ(Jelena Dokić, セルビア語表記:Јелена Докић , 1983年4月12日 - )は、ユーゴスラビア・ベオグラード出身のプロテニス選手である。故国ユーゴスラビアの先輩モニカ・セレシュに憧れて7歳からテニスを始め、11歳の時に内戦を逃れてオーストラリアに移住した。ジュニア時代の1998年に日本の大阪で開催された「世界スーパー・ジュニア・テニス選手権」に優勝するなど、早くからオーストラリア女子の新星として有望視されていた。
1999年全豪オープンで4大大会にデビュー。地元の女子選手として主催者推薦を受け、3回戦でマルチナ・ヒンギスに挑戦した。5か月後のウィンブルドン選手権で予選を勝ち上がり、6月22日の1回戦でヒンギスを 6-2, 6-0 で圧倒して一躍有名になった。この大会ではベスト8まで勝ち進んだが、“予選勝者対決”になった準々決勝でアレクサンドラ・スティーブンソン(アメリカ)に敗れる。ウィンブルドン選手権の終了後、2000年のシドニー五輪の「オリンピック大使」に任命された。
2000年末に国籍を故国ユーゴスラビア(セルビア・モンテネグロ)に戻し、7年間住んだオーストラリアを離れる。2001年5月の「イタリアン・オープン」でWTAツアー初優勝を果たした(通算5勝)。自己最高成績は4大大会が2000年のウィンブルドンベスト4、世界ランキングは4位(2002年8月)。その一方、2000年の全豪オープンで起こした一連の“舌禍事件”や父親ダミルの度重なる奇行など、コート内外でトラブルの多い選手でもある。2003年のウィンブルドン3回戦でマリア・シャラポワに敗れ、この選手に躍進のきっかけを与えたのはドキッチであった。(現在も不可解な言動が多く、セルビアとオーストラリアのはざまで悩んでいるようである。)