エル・リシツキー
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エル・リシツキー(El Lissitzky, Эль Лисицкий, 本名:ラザーリ・マルコヴィッチ・リシツキー, Лазарь Маркович Лисицкий, Lazar Markovich Lissitzky, 1890年11月23日 スモレンスク近郊ポチノク - 1941年12月30日)は、ロシア出身のグラフィックデザイナー、ブックデザイナー、展示デザイナー、建築家、写真家。
1920年代にかけて、西ヨーロッパ主にドイツで活動を展開する。その目的はソヴィエトロシアにおける芸術運動および政治状況を諸外国に伝達することであった。なかでも1928年ドイツケルンにおいて開催された「国際報道展(通称:プレッサ)」におけるソヴィエトパヴィリオンの設計は諸外国のメディアを大きく揺さぶるものとなった。
1930年に創刊されたソ連のプロパガンダ雑誌『建設のソ連邦(ソ連邦建設、ソ連建設、などと訳されることもある)』(露英独仏西の5か国語で刊行された。その順にタイトルは、CCCP НА СТРОЙКЕ、USSR in conctruction、USSR im Bau、URSS en construction(L'URSS en construction、と冠詞がつく場合もある)、URSS en construcción)の一部の号のデザインも行った(1932年から、死の前年の1940年まで)。
「プロウン」(新しいものの確立のプロジェクト)の提唱者。
詩集『声のために』は詩人マヤコフスキーとの共同編集。インデックスシステムを採用した書籍はおそらく世界初。
[編集] 外部リンク
[編集] 日本語の参考文献
- エル・リシツキー―構成者のヴィジョン/編者:寺山祐策/著者:寺山祐策、多木浩二、勝井三雄、向井周太郎、新島実、五十殿利治、本庄美千代/武蔵野美術大学出版局/2005年
- 構成者の空間/エル・リシツキーの生涯と仕事:寺山祐策
- リシツキーとチヒョルト:新島実
- リシツキーのブックデザイン:寺山祐策、本庄美千代
- ブックデザインから見る、周辺のおもだったアヴァンギャルドの動向:本庄美千代
- 講演:リシツキーと20世紀:多木浩二
- シンポジウム:エル・リシツキーをめぐって:五十殿利治、向井周太郎、勝井三雄
- リシツキー関連年表(1890-1941)
- 関連主要人名録(126名)
- 特別付録(リシツキー・フォトモンタージュ豆本)