エル・アル航空機撃墜事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エル・アル航空機撃墜事件(ーこうくうきげきついじけん)とはイスラエル国営エル・アル航空がブルガリア国防軍機によって、ブルガリアへの領空侵犯を理由に撃墜された事件である。後にソ連によってサハリン(樺太)上空で撃墜された大韓航空機(大韓航空機撃墜事件)と同様に、当初予定していた航路を逸脱したため領空侵犯を理由に撃墜されたが、後にブルガリア政府は遺憾を表明した。
[編集] 事件の概要
1955年7月27日、イギリス・ロンドン発オーストリア・ウィーン経由イスラエル・テルアビブ行きの航空の定期便として運行中のロッキード・コンステレーション(登録記号:4X-AKC)が、ユーゴスラビア(現在のセルビア)のベルグラード付近から東へ航路を逸脱し始めた。そのためブルガリア領空への侵入し、スクランブル発進したブルガリア国防軍の戦闘機2機によって3度に渡って攻撃された。出火したため不時着する場所を探して降下中のエル・アル航空機に3度目の攻撃が加えられ右翼が爆発し、午前7時40分(現地時間)にブルガリア・ペトリッチ上空で空中分解して墜落した。これにより乗員7名、乗客51名、計58名全員が犠牲になった。
[編集] 航路逸脱の原因
イスラエル側の調査団は、活発な雷雲の影響で無線方向指示による航法装置に誤差が生じ、その指示からパイロットが予定よりも早く方向変換したことが航路を逸脱した原因であるとした。また隣接するユーゴスラビアとギリシアからの目撃者はブルガリア国防軍が執拗に攻撃していたと証言しており、このことは機体の残骸に多数の弾痕があったことからも確認された。当初ブルガリア政府は、国際慣習にのっとって領空を侵犯したテル・アル機に対し警告したうえで、パイロットが着陸を拒否したから撃墜したと正当性を主張したが、最終的には撃墜の判断を「迂闊なものであった」と認め遺憾を表明した。