イブン・ジュバイル
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イブン・ジュバイル(Ibn Jubayr, 1145年 - 1217年)は、12世紀から13世紀にかけて活躍したムスリムの旅行家。彼によって記された旅行記は、文学作品としてのみならず、当時の状況を知る史料としても重要な価値を有している。
[編集] 生涯
1145年、現在のスペインの都市バレンシアで生まれた。グラナダでイスラーム神学など諸学を修め、一時はムワッヒド朝に仕えた。1183年より第1回のメッカ巡礼を行い、その旅行記であり美文体で記された『リフラ』は、優れた紀行文としてのみならず、当時の十字軍、両シチリア王国などについての状況を知る貴重な史料としても評価されている。その後2度にわたって東方へ旅行し、その途上のアレクサンドリアで客死した。
[編集] 第1回メッカ巡礼の様子
1183年(イスラーム暦578年)、イブン・ジュバイルは、グラナダからメッカ巡礼へと出発し、まずはイベリア半島の対岸にあるセウタへと向かった。ここからジェノヴァの船に乗り、約1ヶ月の航海を経てアレクサンドリアへと到達した。そこから南下して、当時のアイユーブ朝の都カイロへと向かった。街は総じて平穏であり、彼の旅行記の中でも統治者サラディンの善政を評価している。カイロを離れると、そこからジェッダを経てメッカへと到達した。メッカのカーバ神殿に巡礼し、メディナではムハンマドの墓を詣でた後、バグダードへと向かった。バグダードの様子も旅行記からうかがうことができる。その後、地中海東岸へとむかい、アレッポ、ダマスクス、アッコンを訪れた。当時、十字軍勢力の拠点であったアッコンから、航路でシチリア島へとむかった。当時のシチリア島は両シチリア王国の統治下にあり、当時の両シチリア王国ではイスラーム教徒、キリスト教徒の共存が図られていた。旅行記の中で、イブン・ジュバイルは、街の女性がムスリムかキリスト教徒か区別できないという記述を残している。その後、シチリア島から再び船でイベリア半島へと旅立つ。そして、出発してから2年以上の年月を経てグラナダに帰還した。これらの様子を記したのが、『リフラ』である。