アレン・アイバーソン
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男子 バスケットボール | ||
銅 | 2004 | バスケットボール |
アレン・アイバーソン(Allen Iverson, 1975年6月7日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボール選手。ヴァージニア州ハンプトン出身。アメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAのデンバー・ナゲッツに所属している。ポジションはガード。「THE ANSWER」の愛称を持つ。
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[編集] 経歴
[編集] 学生時代
- 彼は高校時代優れたアスリートであり、バスケットボールの活躍だけでなくアメリカンフットボールでもクォーターバック、ディフェンスバック、パントリターナーとして活躍、高校2年のシーズンにタッチダウン34回(パスで14回、ランで15回、リターンで5回)をあげてバージニア州チャンピオンに導いた。高校卒業後彼はバスケットボールだけをプレイすることを選択、ワシントンD.C.のジョージタウン大学に入学し奨学金を受けた。NBA入りする前の2シーズンは1試合平均22得点をあげた。とにかくその才能はずば抜けており、大学2年生の時点ですでに世界最高のポイントガードと評されることもあった。
[編集] NBA
- アイバーソンは1996年のNBAドラフトでフィラデルフィア・セブンティシクサーズによって全体1位で指名された。
- 1996-97シーズン、ルーキーとしてNBA歴代6位の1試合平均23.5得点を記録し、新人王、オールルーキー1STチームに選ばれた。アイバーソンの活躍によってシクサーズのチケットは飛ぶように売れた。ルーキーにも関わらずマイケル・ジョーダンと真正面から対峙するなど、度胸の強さを見せ付けた(神様とまで呼ばれたマイケル・ジョーダンを大したことがないと言ったコメントが話題になったが、実際に対戦したあとは先のコメントを撤回している)。
- 1998-99シーズン、ラリー・ブラウンがHCに就任すると、チームはプレイオフに進出、シードのオーランド・マジックを破り、カンファレンスセミファイナルまで進出した。自身も平均26.8得点で初の得点王を獲得、オールNBA1STチームにも選ばれた。
- 1999-2000シーズン、平均得点を28.4得点まで伸ばし、初めてオールスターに選ばれるも、2年連続でインディアナ・ペイサーズに破れた。
- 2001年には、得点王に返り咲き、シーズンMVPに選ばれるなど、まさに破竹の勢いであった。大学時代からのライバルであったレイ・アレンのいるミルウォーキー・バックスを接戦の末破り、NBAファイナルに進んだ。ロサンゼルス・レイカーズとの対戦では、第1戦、オーバータイムまでもつれた試合を、3Pシュート、クロスオーバードリブルでマッチアップしていたティロン・ルーを振り切るジャンプシュートで勝負を決定づけたが、続く試合を落とし1勝4敗に終わった。
- アイバーソンは4回得点王となっていてこれはジョージ・ガービンと並んで史上3位タイである。(その上には、マイケル・ジョーダンとウィルト・チェンバレンしかいない。)
- その後は、チームがトレードを繰り返したこともあり、自身の活躍が勝敗に結びつかない状況が続いた。
- 2006年12月19日にアンドレ・ミラー、ジョー・スミス、2つの2007年のドラフト1巡目指名権と引き換えに、イヴァン・マクファーリンと共にシクサーズからデンバー・ナゲッツへ移籍した。2006-07シーズン終了後からアイバーソン放出の噂が絶えず、様々な情報が錯綜していたが、それが実現する形に至った。また、プロ11年目で初めての移籍になった。
[編集] 主な受賞や記録
- シーズンMVP(2001年)
- オールNBAファーストチーム3回、セカンドチーム3回、サードチーム1回
- オールスター8回出場
- オールスターMVP2回
- 得点王4回
- スティール王3回
- NBA新人王(1997年)
- オールスタールーキーチャレンジMVP
- 史上3人目の得点、スティール,アシストの3部門で年間5位以内に入る。
- 平均得点NBA歴代3位の28.0得点
- プレイオフ平均得点NBA歴代2位の30.6得点(1位はマイケル・ジョーダン)
- 2005-06シーズンには50得点以上を13回あげた。
[編集] ラリー・ブラウンとの関係
彼はコーチのラリー・ブラウンに絶大な信頼を置き、ブラウンの指導がなければ好成績を上げられなかっただろうとしばしば発言した。しかしながら、2人の関係には複雑なものがある。セブンティシクサーズが2002年のプレーオフ第1戦に敗退し、シーズンを通してたびたび練習をさぼっていたことをブラウンに非難された後、アイバーソンは記者会見で「たかが練習にそんなに力を入れるのはバカバカしい。いいかい、みんなが見てくれる実際の試合じゃなく、たかが練習だよ。」と語った。このことは、後に有名なエピソードになった。
[編集] プレイスタイル
- 身長180cm台の選手としては破格の1試合当り平均30得点近くを奪う高い得点能力を誇る。
- 2m級の選手を一瞬で置き去りにするスピードでコートを縦横無尽に突き進む。彼のクロスオーバードリブル(あれだけ大胆なダブルクロスオーバーを取り入れたという点では、サッカーのロナウジーニョと似ている)はしばしば相手を翻弄させる。彼のダブルクロスオーバーは、ティム・ハーダウェイが取り入れたキラークロスオーバーとは異なる部分が多い。
- NBA選手として低い身長にもかかわらず、軽々とダンクシュートを決め、3ポイントも成功率が高いなど、相手にとってはまさに手のつけどころがない存在である。
- 近年はアシスト、スティールにも高いセンスを見せている。なお、公式発表の183cm(6フィート)とされる身長よりも実際はもっと低いのではとも言われることもある。
[編集] その他
- 同一チームに在籍する年数が10年となり、これは現役ではケビン・ガーネットに次ぎ、コービー・ブライアントと並んで2位タイである。
- プレイオフでは2005-06シーズンまでで29勝34敗と負け越しており、カンファレンスファイナルに進出したのもNBAファイナルに進出した2001年の1回だけとイースタンカンファレンスのライバルチームに勝つことができないでいる。
- 2003年に、スラムマガジンSLAM Magazineで歴代top75プレーヤーの中の53位にランクされた。
- 数多くのタトゥーに限らず、コーンロー、ヘッドバンド、腕全体をサポートするシューティングスリーブなどは、若手選手のファッションに影響を与えた。
- アイバーソンは十代の頃から様々な事件に関与したと報道されたことがあった。ある時は家族でのパーティの最中に妻を銃で脅したという。
- バスケットボール以外では、ラッパーとして活動しているが、最初のアルバムは過激な歌詞を含んでいることが地元のフィラデルフィアで問題になり、自主的に発売を見合わせた。このように数々の問題行動で波紋を呼ぶアイバーソンだが、近年は精神的に安定感が増し、後輩にアドバイスを送ったり、仲間への感謝の念を述べるなどプレイスタイル同様、洗練さが増し評価が高まった。
- 彼はアメリカのスポーツ用品メーカー、リーボックと契約しておりI3というブランド名でシューズを始めとするグッズが発売されている。